都城の歯医者(歯科医)Heart dental〜ハートデンタルクリニック〜都城市の歯の治療、歯の矯正、虫歯予防

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むし歯

まずは当クリニックホームページにアクセスしていただき、どうもありがとうございます。
当クリニックをより多くの方々に知っていただきたく、2007年4月5日の開院と同時にホームページを開設いたしました。
皆様のご支援もあり、2013年5月1日から開業して約6年経過して、いろいろな社会貢献も見据えて新たに『  医療法人  社団  ハートデンタルクリニック  』  として開院いたしました。

これからも皆様のご意見などを参考にさせていただきながら 発展していきたいと思いますので応援よろしくお願いいたします。

さて、自分のことを書きますが、まずよりよく知っていただくためにいろんなことをブログなどにも 掲載していきます。
こういう人物と分かった上で、ご来院いただき話に花咲かせましょう!^^

いろいろなことに興味ありますが、まだまだ未熟者ですのでいろいろ教えてくださいね。

 

ちなみに19才のときに交通事故の手術で入院するまでは、「B型」だと思っていたので、看護婦(士)さんに「A型」と言われたときに、「B型」だと言い張って再度検査してもらったらやっぱり「A型」でした。^^
そういわれるとだんだん「A型」のような気になってきて、今ではよく几帳面だといわれます。部屋の片付けなどは苦手ですが、いったん綺麗な状態になるとしばらくはその状態を保っています。
自分が「A型」だといわれるのは、よく自分の書いた字を見た時です。なんと白紙に 書いても、“ これって定規使って書いたでしょ? ”って必ずいわれます。

あと、医院でスタッフたちは 細かいっ ていいますけど。。。

もう少し現実を見ればっていわれるくらいですが、自分の考えを曲げないっていう厄介な面もあります。
以前、歯科医師になってしばらくしてセミナー受講したときに大学生 ( 鹿児島大学) のころの先生に久しぶりに会って話しかけられたので、“ 自分のことをよく覚えていましたね? ” とたずねると “ だって学生にこうじゃないって怒られることはあんまりないからね” と言われました。
たぶん、そうだったんでしょう。。。今では、相手の気持ちなども考えて以前よりは少なくなったと思いますが、自分が間違っているのでは?って思ったことは、心にためるのではなく 相手に伝える方だと思います。言い方は自分では大人になったと思いますが。。。

あとは高校生 ( 鹿児島県立鹿児島中央高等学校 )の大学」受験の時も、担任の先生に “ 歯学部は無理!” って言われ続けました。無理もありません。合格判定の可能性が、5パーセント未満ってでてるんですから。。。

それでも、落ちてもいいので歯学部受験するっていって、自分の考えを突き通し、見事に現役では落ちました。

 

( 話しが目まぐるしく変わりますが、前向きっていうのは大学受験で落ちたとき
車の免許をとり、国家試験で落ちたときは、4級小型船舶(今の2級)の免許を取りました。
何かマイナス要素がある時にはプラスの要素ももってこないと気がすまない性格なんでしょうかね?)

ちなみに車の免許を取る時に、最後に学科試験ってありますよね?何とほとんどの人が落ちることないと言われているその試験でも落ちました。。。  受験する時は自動車学校のマイクロバスで鹿児島市から帖佐まで30分くらいかけて送ってもらい、もちろんほぼ全員合格するのでみんなで帰るのですが、落ちるとJRで各自帰らなければならないのでけっこう孤独感味わいました ^^ ) 

つまずいたっていいじゃないか   にんげんだもの
なので、この相田みつおさんの言葉が20代からの自分の座右の銘です。


さあ、そこでです。

 

うちの実家はもちろん歯科医院でもなければ(ラーメン屋さん)、どちらかというと苦しい家計でしたので、予備校に通うにもアルバイトをして自分で学費を稼がなくてはなりませんでした。
(性格上、長男?って言われるのですが実際は8人兄弟の末っ子で次男ってことは姉6人!)
それは大学いってからも同じだったのですが、ここからいろんなアルバイトをしていきました。

そもそも中学生( 鹿児島市立天保山中学校 ) のころの新聞配達に始まりました。

このころももちろん、小学3年生から剣道を続けていましたので、朝4:50分起きは体力的にはきつかったのですが、 親の方針で

 “ 自分で責任とれるなら、何をやってもかまわない ” といわれて
勉強しなさいって言葉はほとんど聞いたことありませんでした。
こういわれると、最初のころは自由でいいのですが、さすがになにかしら自分でも考えて行動するものですね!今では親のこの方針に感謝しています。

むし歯

と、まあいろいろ書きましたが、アルバイト経験はよくある

 

家庭教師・塾の先生から、テント設営・どぶさらい・英会話教室のポスター貼り・不動産屋さんの案内・飲み屋さんのウエイター・ラーメンの訪問販売・県内一円の自動販売機のホット切り替え・3トントラックの運転手(主に鹿児島市周辺の冷凍食品の配達)・建築関係は地質調査(ボーリングも)から建築外装・内装・法面工事

 

などいろいろやりましたね。。。

おもしろいところでは、自動販売機のホット切り替えというのは、10月ころからあったかいものが出てきますよね?それで自動販売機のここの列からここまでをあたたかいのにするなどあるのですが、間違って炭酸のコーナーをホットにしてしまって、店のご主人から、「自動販売機の中が爆発してるっ!」というお電話をいただいて急いでかけつけたのもいい思い出です。ちなみに1ケース買取でした。。。

1番きつかったバイトは 熊本の五木村の川辺ダム(ちなみに自分が生まれる前から始まった工事現場です)でのボーリング(地質調査)です。
( この時は国家試験落ちた後の10月まで半年近くしていて、ダムの地盤調査や川内原発の地質調査などにも大学生のアルバイトを連れて現場監督として働くまでになっていました )

これは月曜日の朝から車で2時間かけて行って、1週間泊り込みで土曜日の夕方に鹿児島に帰れるというものでした。ちなみに1泊3食付で3000円(アルバイト代から差し引き!)の旅館で、その旅館はダムが完成すれば、いずれは水没するというところでした。

昼のお弁当にはなぜかいつもバナナが入っていて、食べていると野生のサルがそれを狙ってくるような山奥なのです。結構、肉体的にも精神的にもこたえたバイトだったです。
むし歯

またまた戻って、自分が小学生のころになります

(ちなみにこのころは、小学3年生から剣道を始めたので、高校までずっと坊主頭一分か三分刈り!!・・・今でもときどき坊主頭にしますし、普段もほぼそれに近いです。この前も患者様にここの先生は7:3分けじゃないね〜。歯医者さんて感じじゃないっていわれました。それは自分でも重々分かっています。初対面の方で自分の職業分かる方はあんまりいないでしょう。。。)

ところで小学生のころに むし歯予防のポスターって書きますよね?
あれで(小5の時に市で)入選したんです。  それが、歯 というものを最初に意識したことかなって思います。そのときも居残りで書かされてて先生のいなくなったときに、そのままの状態でこそ〜っと置いて帰ったら、入選してたんでびっくりしました。
以前から、なぜか悪知恵だけははたらく子だったみたいで、家と小学校が道路1つ隔ててるだけだったので、朝は始業のチャイムが鳴ってから、家をダッシュで出てました。^^
(ちなみに小・中学生のときの好きな教科は図工と体育〜水泳と持久走以外〜)でした。

あと、小学校が全国保健優良校 だったので毎週土曜日にみんなでフッ素洗口をすることが当たり前になっていたのもきっかけになったかな、と思います。 そのおかげで今でもむし歯ゼロなんですから。。。

このころの小学校の卒業文集にも将来は医者(歯医者じゃない?)になって治らないといわれている病気を治したいと書いてあります。

自分が予防に取り組みたいっていうのも、なんとなくわかるような気がしませんか?

本当に、今思えば小さいことがきっかけとなっているものです。

 

むし歯

都城市には、平成8年から生活を始めて、三股町の歯科医院には、それからずっと11年間 勤務していました。

そもそも、そのころから実家がある鹿児島市は歯科医師過剰っていわれている地域でしたし、将来開業するならあまり鹿児島からも遠くなく、住みやすいところという点で都城市に決めました。
実際、このころ都城市は物価や環境などからも全国で住みやすい市町村のトップテンに入っていました。

で、就職して2年目の平成9年の9月に今の妻と付き合って7年目の28歳のときに結婚して、平成11年の元旦に長女;亜蓮(あれん)誕生!!平成13年の3月22日に 次女;梨乃(りのん)誕生!!となりました。

結婚してから、あっという間に15年以上経ちました。

開業する前は、子供とよく遊ぶ時間などあったのですが、開業したからはなかなか時間がとれずに家族にも迷惑かけているかと思います。 反省してこころにも余裕もとうと思います。

歯科医師の方々との付き合いももちろん大切ですが、自分は異業種の方々とお話することが楽しいです。
それで、娘たちが幼稚園生 (聖ドミニコ学園幼稚園)のときは、すすんで役員を引き受け、副会長と会長の2年間にいろんな方々と接することができたことに感謝しています。
それで、次女が小学1年生になり手も少し離れるその年に開業できるように目標を決めて現在に至ります。

 

ここまで読んで何か変わった人だと感じるかもしれませんが、ここだけでは書ききれないくらい他にも車やインテリア、洋服、雑貨、和太鼓などなどや他にも奥さんの影響うけているものなど興味たくさんありますので、いろいろと話しかけてみてください。

こちらも患者様のお一人お一人の生活スタイルや趣味なども踏まえての治療計画を立てるので、スタッフにもお話をすすめています。

ここまで長々とお読みいただきありがとうございます。
こういった形でブログも更新していきたいと思いますので、よかったら覗いて見て下さい。


では、医院でお会いできるのを楽しみにお待ちいたしております。


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