院長紹介

院長 葉 清貴 先生を紹介します

院長あいさつ

医療法人社団ハートデンタルクリニック 院長 葉 清貴

まずは、当クリニック開業とともにホームページ開設10年経過してリニューアルしたHPにもアクセスしていただき、どうもありがとうございます。

当クリニックをより多くの方々に知っていただきたく、2007年4月5日の開院と同時にホームページを開設いたしました。

皆様のご支援もあり、2013年5月1日から2007年に開業して約6年経過して、いろいろな社会貢献も見据えて新たに『 医療法人社団 ハートデンタルクリニック 』として開院いたし ました。

これからも皆様のご意見などを参考にさせていただきながら 発展していきたいと思いますので応援よろしくお願いいたします。

さて、自分のことを書きますが、まずよりよく知っていただくためにいろんなことをブログなどにも掲載していきます。

こういう人物と分かった上で、ご来院いただき話に花咲かせましょう!^^

いろいろなことに興味ありますが、まだまだ未熟者ですのでいろいろ教えてくださいね。

1.院長ってどんな人?

    1. 生まれてから成人まで(性格や価値観の醸成期間)
    2. アルバイト経験
    3. 歯科医師を目指したきっかけ
    4. 都城にきてからは。。。
    5. 結婚してから、あっという間に25年以上経ちました。
    6. そしていよいよ開業してからは。。。
    7. 院長のこだわり

2.ボランティア活動

    1. ミャンマーボランティア)
    2. ベトナムボランティア
    3. その他のボランティア

3.海外研修

    1. 海外研修
    2. 国内研修

4.講演活動・その他の学び

  1. 院長塾
  2. その他の学び・院長紹介おわりに

院長先生ってどんな人???

 



(生年月日・血液型)昭和43年10月20日生まれ 申年 A型

ちなみに19才のときに交通事故の手術で入院するまでは、自分の血液型を「B型」だと思っていたので、

看護婦(士)さんに「A型」と言われたときに、「B型」だと言い張って再度検査してもらったらやっぱり「A型」でした。^^

自分は8人兄弟の末っ子で父は「O型」で母「B型」なので、10人家族いて、当たり前ですがほぼその2つの型なんです。。。

長女と自分だけが「A型」でしたが、なんせ昔は血液型ってあんまり検査とかしたことなかったんですよね~

結局19才まで大きな病気もケガもすることなかったんで、知らなかっただけなんですが。。。 】
そういわれるとだんだん「A型」のような気になってきたのか?、今ではよく几帳面だといわれます。

部屋の片付けなどは苦手ですが、いったん綺麗な状態になるとしばらくはその状態を保っています。

自分が「A型」だといわれるのは、よく自分の書いた字を見た時です。なんと白紙に書いても、”これって定規使って書いたでしょ?”って必ずいわれます。

あと、医院でスタッフたちは 細かいっていいますけど。。。



(性格)間違いなくポジティブ、頑固、負けず嫌い

もう少し現実を見ればっていわれるくらいですが、自分の考えを曲げないっていう厄介な面もあります。

以前、歯科医師になってしばらくしてセミナー受講したときに大学生( 鹿児島大学 )のころの先生に久しぶりに会って話しかけられたので、”自分のことをよく覚えていましたね?”とたずねると”だって学生にこうじゃないって怒られることはあんまりないからね”と言われました。たぶん、そうだったんでしょう。。。

今では、相手の気持ちなども考えて以前よりは少なくなったと思いますが、自分が間違っているのでは?って思ったことは、心にためるのではなく相手に伝える方だと思います。言い方は自分では大人になったと思いますが。。。

あとは高校生( 鹿児島県立鹿児島中央高等学校 )の3年の大学受験の時も、担任の先生に”歯学部は無理!”って言われ続けました。
無理もありません。合格判定の可能性が、E判定で5パーセント未満ってでてるんですから。。。
それでも、落ちてもいいので歯学部受験するっていって、自分の考えを突き通し、見事に現役では落ちました!

だって自分が行く気がない学部(高校の先生にすすめられた学部)に行くのってなんか納得いかなかったんです。。。

この頃からずっと、自分でなんでも決断してましたね!

【  そう言えば、この高校生の時の期末試験の当日の朝に雨が降っているのにも関わらず、親の反対を振り切りバスでなく自転車で通学し、家を出てすぐの坂道の下り坂で転倒して 一時的記憶喪失 になったこともありました。
その時も記憶がなく出血しているのにも関わらず、そこから200mくらい歩いて高校行きのバスに乗り、ちゃんと高校の前のバス停で降りて靴箱の前でボーっと突っ立っていたところ(すでに1時間目が始まる時間を過ぎていて)を教頭先生に見つけてもらい、脳神経外科の病院に行ったそうです。。。(※逆に今はその時の記憶はありません!)
病院では駆けつけてくれた母親に訳分からないことを言っていて、とうとう頭がおかしくなった・・・とすごく心配されたみたいですね。
そこからも夕方までずーっと家で寝ていて2~3日は家でも訳分からないことを言っていたそうなので。。。(笑)

この話しを後から聞いた時に、客観的にみて

「 記憶喪失になっているのに、試験日だったから?遅れてでもきちんと高校まで行ったのは使命感すごい! 」

って考えたのは自分だけでしょうか? (笑)  】

最終的には、これから先の自分の進学する大学(学部)だけにとどまらず、浪人した時の予備校、一浪した時の受験する大学(学部)、大学留年した時の一年間の過ごし方、大学卒業する時の就職先、歯科医師国家試験落ちた時の一年間の過ごし方、結婚する時の相手や時期、開業する時、自宅を建てる時etc.などなど

いいか、悪いかは別として全部誰に相談するでもなく、自分1人で決めてきました!


【 ちなみにこの写真は、大学生のころの写真で、剣道部の後輩の治療をしている写真です! 】

【  話しが目まぐるしく変わりますが、前向きっていうのは大学受験で落ちた時は車の免許をとり、国家試験で落ちた時は、4級小型船舶(今の2級)の免許を取りました。

何かマイナス要素がある時にはプラスの要素ももってこないと気がすまない性格なんでしょうかね?
ちなみに大学1年の時にすでに留年が決まって、その留年している一年間の中で鹿児島の不動産屋でアルバイトしていた時に出逢ったのが、妻です!

他にも車の免許を取る時に、最後に学科試験ってありますよね?マークシート形式で、ほとんどの人が落ちることないと言われているその試験でも、なんと落ちました。。。

受験する時は自動車学校のマイクロバスで鹿児島市から試験会場の帖佐という町まで30分くらいかけて送ってもらい、もちろんほぼ全員合格するのでみんなでそのバスで帰るのですが、落ちるとJRで各自帰らなければならないのでけっこう孤独感味わいました。。。  

あと歯科医師国家試験(これもマークシート形式の試験)落ちた時も、その発表を見て、なんと新聞が間違っている!と言い張り、明日の新聞に「 この人は実際は合格していました 」っていう訂正文が掲載されるはずって言っていたらしい。。。( ※ 自分は覚えていないけど、妻が覚えていてついこの前20年ぶりくらいに聞いて、自分ですら大笑いしていました!)  】


 

つまずいたっていいじゃないか にんげんだもの

なので、この相田みつおさんの言葉が20代からの自分の座右の銘なのです。他にも 

『 チャレンジして失敗することを恐れるよりも、何もしないことを恐れろ!( 本田 宗一郎) 』 
『 なんでもいいから、まずやってみる。それだけなんだよ。(岡本 太郎) 』
 
このお二人の言葉も同じように大好きです!^^

世間一般的に言う 失敗 経験が多い自分だからこそ、より多くのことに『 挑戦 』 できていると考えます。

失敗のないことは、失ったりするものもない代わりに得ることがまったくないから、自分はいくつになっても新しいことに 『 挑戦 』 し続けたいです!^^
ちなみに青い薔薇の花言葉は 「 夢叶う 」 なんです。

それもあり、大好きな青い薔薇に大好きな言葉を書いて画像として残してあります。。。

さあ、そこでです。

うちの実家はもちろん歯科医院でもなければ(ラーメン屋さん)、どちらかというと苦しい家計(給食費はいつも遅れて学校の先生によく注意されてました!)だったので、予備校に通うにもアルバイトをして自分で稼がなくてはなりませんでした。

( 性格上、長男?って言われるのですが実際は8人兄弟の末っ子で次男ってことは姉6人!一番上の姉とは18才の親子ほどの年齢差があります! )

それは大学入ってからも同じだったのですが、ここからいろんなアルバイトをしていきました。 

一番最初は中学生 ( 鹿児島市立天保山中学校 ) のころの 新聞配達 からアルバイトの歴史は始まりました・・・

【 ちなみにこの写真は中学生のころの写真で、自分の天保山中生1人、隣の甲東中生2人、近くの鴨池中生2人の連合チームのスポーツ少年団で結構活躍していた頃の写真です! 】

このころももちろん、小学3年生から剣道を続けていましたので、朝4:50分起きは体力的にはきつかったのですが、親の方針で  自分で責任とれるなら、何をやってもかまわない といわれていて、『 勉強しなさい! 』って言葉はほとんど聞いたことありませんでした。

そもそも狭い家で兄弟多いため、もちろん自分の部屋などなく勉強する部屋も共同の机も自分が小学校低学年のころは、姉や兄は中学生や高校生でいろんな試験もあったので、「 お前は勉強せんでいいから、あっち行け! 」ってよく部屋からも追い出されていました (笑)

こういわれると、最初のころは自由でいいのですが、さすがになにかしら自分でも考えて行動するものですね!
今では親のこの方針に感謝しています。

高校受験のときにはギリギリで志望校( 鹿児島県立鹿児島中央高等学校 )に合格していたみたいで、最初の家庭訪問の時に1学年505人の高校だったのですが、500番以以降で合格していたことを告げられました・・・
というのも、高校1年生になってすぐの実力テストで中学までは苦手だった数学が、高校になってからの先生の教え方が好きで頑張ったら数学は満点で、いきなり5教科が学年全体で2番の成績になったので、先生がビックリしてつい言ってしまったらしいのです!^^

この頃からですかね?  なんでもやればできる!  って考えて、自己概念高くなっていったのは!!!(笑)


1.院長ってどんな人?

    1. 生まれてから成人まで(性格や価値観の醸成期間)
    2. アルバイト経験
    3. 歯科医師を目指したきっかけ
    4. 都城にきてからは。。。
    5. 結婚してから、あっという間に25年以上経ちました。
    6. そしていよいよ開業してからは。。。
    7. 院長のこだわり

2.ボランティア活動

    1. ミャンマーボランティア)
    2. ベトナムボランティア
    3. その他のボランティア

3.海外研修

    1. 海外研修
    2. 国内研修

4.講演活動・その他の学び

  1. 院長塾
  2. その他の学び・院長紹介おわりに