院長の性格(自己分析)

院長の性格(自己分析)

(性格)間違いなくポジティブ、頑固、負けず嫌い

もう少し現実を見ればっていわれるくらいですが、自分の考えを曲げないっていう厄介な面もあります。

以前、歯科医師になってしばらくしてセミナー受講したときに 大学生( 鹿児島大学 ) のころの先生に久しぶりに会って話しかけられたので、 “自分のことをよく覚えていましたね?”とたずねると “だって学生にこうじゃないって怒られることはあんまりないからね”と言われました。たぶん、そうだったんでしょう。。。

今では、相手の気持ちなども考えて以前よりは少なくなったと思いますが、 自分が間違っているのでは?って思ったことは、心にためるのではなく相手に伝える方 だと思います。言い方は自分では大人になったと思いますが。。。

あとは 高校生( 鹿児島県立鹿児島中央高等学校 ) の3年の大学受験の時も、担任の先生に”歯学部は無理!”って言われ続けました。
無理もありません。合格判定の可能性が、 E判定で5%未満ってでてるんですから。。。
それでも、落ちてもいいので歯学部受験するっていって、自分の考えを突き通し、見事に現役では落ちました!

だって自分が行く気がない学部(高校の先生にすすめられた学部)に行くのってなんか納得いかなかったんです。。。

この頃からずっと、自分でなんでも決断してましたね!

【  そう言えば、この高校生の時の期末試験の当日の朝に雨が降っているのにも関わらず、親の反対を振り切りバスでなく自転車で通学し、家を出てすぐの坂道の下り坂で転倒して 一時的記憶喪失 になったこともありました。
その時も記憶がなく出血しているのにも関わらず、そこから200mくらい歩いて高校行きのバスに乗り、ちゃんと高校の前のバス停で降りて靴箱の前でボーっと突っ立っていたところ(すでに1時間目が始まる時間を過ぎていて)を教頭先生に見つけてもらい、脳神経外科の病院に行ったそうです。。。(※逆に今はその時の記憶はありません!)
病院では駆けつけてくれた母親に訳分からないことを言っていて、 とうとう頭がおかしくなった・・・ とすごく心配されたみたいですね。
そこからも夕方までずーっと家で寝ていて2~3日は家でも訳分からないことを言っていたそうなので。。。(笑)

この話しを後から聞いた時に、客観的にみて

「 記憶喪失になっているのに、試験日だったから?遅れてでもきちんと高校まで行ったのは使命感すごい! 」

って考えたのは自分だけでしょうか? (笑)  】

最終的には、 これから先の自分の進学する大学(学部)だけにとどまらず、浪人した時の予備校、一浪した時の受験する大学(学部)、大学留年した時の一年間の過ごし方、大学卒業する時の就職先、歯科医師国家試験落ちた時の一年間の過ごし方、結婚する時の相手や時期、開業する時、自宅を建てる時etc.などなど

いいか、悪いかは別として全部誰に相談するでもなく、 自分1人で決めてきました!


【 ちなみにこの写真は、大学生のころの写真で、剣道部の後輩の治療をしている写真です! 】

【  話しが目まぐるしく変わりますが、前向きっていうのは大学受験で落ちた時は 車の免許 をとり、歯科医師国家試験で落ちた時は、4 級小型船舶(今の2級)の免許 を取りました。

大学入学時に 一浪、※ 自動車運転免許 1回不合格(笑)、 大学1年時に 留年決定、 歯科医師国家試験 1回不合格  と人生経験豊富になるように?必ず挫折というか失敗は確実に1回は経験しています!(逆にすべて1回だけ経験というのも凄い???^^)

何かマイナス要素がある時にはプラスの要素ももってこないと気がすまない性格なんでしょうかね?
ちなみに大学1年の時にすでに留年が決まって、その留年している一年間の中で鹿児島の 不動産屋 でアルバイトしていた時に出逢ったのが、妻です!

他にも車の免許を取る時に、最後に学科試験ってありますよね?マークシート形式で、ほとんどの人が落ちることないと言われているその試験でも、なんと落ちました。。。

受験する時は自動車学校のマイクロバスで鹿児島市から試験会場の帖佐という町まで30分くらいかけて送ってもらい、もちろんほぼ全員合格するのでみんなでそのバスで帰るのですが、落ちるとJRで各自帰らなければならないのでけっこう孤独感味わいました。。。

あと歯科医師国家試験(これもマークシート形式の試験)落ちた時も、その発表を見て、なんと新聞が間違っている!と言い張り、 明日の新聞に「 この人は実際は合格していました 」っていう訂正文が掲載されるはず って言っていたらしい。。。(※自分は覚えていないけど、妻が覚えていてついこの前20年ぶりくらいに聞いて、自分ですら大笑いしていました!)  】

つまずいたっていいじゃないか にんげんだもの

なので、この 相田みつおさんの言葉が20代からの自分の座右の銘 なのです。 他にも 

『 チャレンジして失敗することを恐れるよりも、何もしないことを恐れろ!( 本田 宗一郎) 』 
『 なんでもいいから、まずやってみる。それだけなんだよ。(岡本 太郎) 』

このお二人の言葉も同じように大好きです!^^

世間一般的に言う 失敗 経験が多い自分だからこそ、より多くのことに『 挑戦 』 できていると考えます。

できない言い訳を考えるのではなく、できるための方法を考えるのが好きです。


成長の『 兆し 』が見えた時、そこから 『 逃げる 』ことも 『 挑む 』ことも選択できるので、自分はこれからも 『 挑む(やるっ!) 』人生を歩んでいきたい。

失敗のないことは、失ったりするものもない代わりに得ることがまったくないから、自分はいくつになっても新しいことに 『 挑戦 』 し続けたいです!^^
ちなみに青い薔薇の花言葉は 「 夢叶う 」 なんです。

それもあり、大好きな青い薔薇に大好きな言葉を書いて画像として残してあります。。。

さあ、そこでです。

うちの実家はもちろん歯科医院でもなければ(ラーメン屋さん)、どちらかというと苦しい家計(給食費はいつも遅れて学校の先生によく注意されてました!)だったので、予備校に通うにもアルバイトをして自分で稼がなくてはなりませんでした。 (※アルバイト経験は後述しています)

(性格上、長男?って言われるのですが実際は8人兄弟の末っ子で次男ってことは姉6人!一番上の姉とは18才の親子ほどの年齢差があります!)

それは大学入ってからも同じだったのですが、ここからいろんなアルバイトをしていきました。

一番最初は 中学生( 鹿児島市立天保山中学校 )  のころの 『 新聞配達 』 からアルバイトの歴史は始まりました・・・

【 ちなみにこの写真は中学生のころの写真で、自分が天保山中生1人、隣の甲東中生2人、近くの鴨池中生2人の5人での連合チームのスポーツ少年団で結構活躍していた頃の写真です! 】

このころももちろん、小学3年生から剣道を続けていましたので、朝4:50分起きは体力的にはきつかったのですが、親の方針で 自分で責任とれるなら、何をやってもかまわない といわれていて、『 勉強しなさい! 』って言葉はほとんど聞いたことありませんでした。



そもそも狭い家で兄弟多いため、もちろん自分の部屋などなく勉強する部屋も共同の机も自分が小学校低学年のころは、姉や兄は中学生や高校生でいろんな試験もあったので、「 お前は勉強せんでいいから、あっち行け! 」ってよく部屋からも追い出されていました (笑)

こういわれると、最初のころは自由でいいのですが、さすがになにかしら自分でも考えて行動するものですね!
今では親のこの方針にとても感謝しています。

高校受験のときにはギリギリで志望高校 ( 鹿児島県立鹿児島中央高等学校 ) に合格していたみたいで、最初の家庭訪問の時に1学年505人の高校だったのですが、500番以以降で合格していたことを告げられました・・・
というのも、高校1年生になってすぐの実力テストで中学までは苦手だった数学が、高校になってからの先生の教え方が好きで頑張ったら数学は満点で、いきなり5教科が学年全体で 505人中2番の成績 になったので、先生がビックリしてつい言ってしまったらしいのです!^^

この頃からですかね?  なんでもやればできる!  って考えて、自己概念高くなっていったのは!!!(笑)




続きはこちら
  • アルバイト経験
  • 1.院長ってどんな人?

      1. 院長の性格
      2. 院長の性格(自己分析)
      3. アルバイト経験
      4. 歯科医師を目指したきっかけ
      5. 都城にきてからは。。。
      6. 結婚してから、あっという間に25年以上経ちました。
      7. そしていよいよ開業してからは。。。
      8. 矯正・審美・予防をやろうとおもったきっかけ
       

    2.海外・国内研修、講演活動等

      1. 海外研修(ペンシルベニア・ハーバード)
      2. 海外研修(ドバイ)
      3. 国内研修・講演活動
      4. これからのハートデンタルクリニック(HDC)

    3.ボランティア活動

      1.    
      2. ボランティアに対する想い
      3. ミャンマーボランティア(2015年~2017年)
      4. ベトナムボランティア(2017年・2018年)
      5. 国内ボランティア(2017年・2019年)