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1.院長ってどんな人?
2.海外・国内研修、講演活動等
3.ボランティア活動
アルバイト経験
と、まあいろいろ書きましたが、アルバイト経験はよくある
家庭教師・塾の先生から、テント設営・どぶさらい・英会話教室のポスター貼り・
不動産屋さんの案内・警備員・飲み屋さんのウエイター・ラーメンの訪問販売・
県内一円の自動販売機のホット切り替え・3トントラックの運転手(主に鹿児島市周辺の冷凍食品の配達)・
建築/土木関係は地質調査(ボーリングも)から道路の夜間舗装工事・上下水道工事・
建築外装・内装・法面工事
などいろいろやりましたね。。。
あまり知られていないものでいうと
『 自動販売機のHOT切り替え 』
のアルバイトというのがあって、10月ころからあったかい飲みものなどが出てきますよね?
それで自動販売機のここの列からここまでをあたたかいのにする、などあるのですが、
間違って炭酸飲料のコーナーをホットにしてしまって、店のご主人から、
「 自動販売機の中が爆発してるっ! 」
というお電話をいただいて急いでかけつけたのもいい思い出です。
ちなみに1ケース買取でした。。。(笑)
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また『 警備員 』のアルバイトの時には、シフトによっては天文館のビル建設工事の時の ダンプなどの工事現場への誘導などを昼間にして、そのまま夜は夜間工事の道路の交通整理に行って ほぼ丸一日寝ずに働いていたこともありました。。。 昼の警備員の時には現場で働く鳶職人の方々とお昼を食べている時などに、 「 若いのに警備員するのではなく現場でちゃんと体を動かして働け! 」
と叱咤激励?(笑)されて、
とび職にスカウトされた時もありましたね~!
1番きつかったバイトは、歯科医師国家試験落ちた26才の時にした
熊本の五木村の川辺ダム(ちなみに自分が生まれる前から始まった工事現場です)での
『 ボーリング(地質調査) 』です。
【 ※この時は国家試験落ちた後の10月まで半年近くしていて、ダムの地盤調査や川内原発の地質調査などにも
大学生のアルバイトを連れて現場監督として働くまでになっていました!このバイトの時にも、もう歯医者さんはいいから
この業界で働けば?ってスカウトされていました!^^
この10月までアルバイトしていたのも、それなりの理由があるんです。。。
自分は1年間勉強だけ!っていうのは性格的にも難しいと思っていて、続いて3~4ヶ月が限界と考えていたので、
受験の2月から逆算していったんです。
すると現役では難しかった国家試験も1浪したあとは
自己採点では満点近くとれるまでに集中してできるようになっていました^^ 】
これは月曜日の朝から車で2時間かけて行って、
1週間泊り込みで土曜日の夕方に鹿児島に帰れる、というものでした。
ちなみに1泊3食付で3,000円(アルバイト代から差し引き!)の旅館で、
その旅館はダムが完成すれば、いずれは水没するというところでした。
昼のお弁当にはなぜかいつもバナナが入っていて、食べていると野生のサルがそれを狙ってくるような山奥なのです。
機械式のボーリングだったのもありずっと単純作業の繰り返しで、結構、肉体的にも精神的にもこたえたバイトだったですが、
今でもきついときにはこのアルバイトを思い出して頑張れるイイ経験
になったと思います。。。
歯科医師 を目指したきっかけ
【 ちなみにこの写真は小学5年生のころの剣道の試合で福岡行った時のものです! 】
またまた戻って、自分が 小学生 ( 鹿児島市立城南小学校 ) のころになります。
( ちなみにこのころは、小学3年生から剣道を始めたので、高校までずっと坊主頭一分か三分刈り!!・・・ 今でもときどき坊主頭にしますし、普段もほぼそれに近いです。
この前も患者様に「 ここの先生は7:3分けじゃないね~。歯医者さんて感じじゃないっ! 」て言われました。 それは自分でも重々分かっています。
初対面の方で自分の職業分かる方はあんまりいないでしょう。。。)
ところで小学生のころに
むし歯予防のポスター って書きますよね?
あれで(小5の時に鹿児島市で)入選したんです。
それが、歯 というものを最初に意識したことかなって思います。
そのときも居残りで書かされてて先生のいなくなったときに、そのままの状態でこそ~っと置いて帰ったら、入選してたんでびっくりしました。
家と小学校とは、小さい道路1つ隔ててるだけだったので、朝は始業のチャイムが鳴ってから、家をダッシュで出ても間に合う距離でした!^^
ちなみに小・中学生のときの好きな教科は図工と体育(~水泳と持久走以外~)でした。あと、小学校が全国保健優良校だったので、小学校の6年間は毎週土曜日にみんなで フッ素洗口 をすることが当たり前になっていたのもきっかけになったかな、と思います。
その
フッ素洗口
のおかげもあり、
50歳過ぎた今でもむし歯で歯を削られたことがないんです!
大学生のころに実習で削ったくらい?
その後は矯正治療も40歳過ぎてから、マウスピース矯正(インビザライン)が確立されたころに自分で治療計画を立てて
マウスピース矯正(インビザライン)で歯ならびも治療しました。
【 自分の50歳過ぎてからのレントゲン写真と口腔内写真です! 】
なので治療する患者さまの気持ちが分からない所はあるかも知れませんが、むし歯にならないようないろいろな予防のアドバイスは出来ると思います。
どうです?こんな むし歯になったことがない歯医者さん に治療してもらうのは!?
それよりも歯科医師になったきっかけとして大きかったのは、自分と2人しかいない男兄弟の15歳離れた自分の性格をよく知るサラリーマンの兄に、
「 清貴にサラリーマンは向いていない! 」
から、手に職をつけた方がいい!って何回も言われ続けたからというのも大きいですね。。。
自分は性格的に人に雇われるのは無理って感じていたらしいんです!^^
( ※ そう言われながらも、三股町の東歯科医院では歯医者さんでは珍しく1つの歯科医院で勤続11年という・・・、これは自分をそういう環境にしてくれた院長先生が凄いっ!!!今でも感謝しています。)
それで医者か歯医者かで悩んでいた時に、注射が苦手で血を見るのも苦手だったので 歯医者 の方を選択したんです!!!
でも結果よく考えたら分かることなのですが、大学でも同じように 人体解剖 ありましたし、今でも抜歯したら血を見ますけど。。。(笑)
ただ注射をするのはまったく苦手ではないんです。されるのが嫌なだけで!(笑)
このころの小学校の卒業文集にも将来は 医者(歯医者じゃない?)になって治らないといわれている病気を治したい と書いてあります。
自分が予防に取り組みたいっていうのも、なんとなくわかるような気がしませんか?
本当に、今思えば小さいことがきっかけとなっているものです。
都城にきてからは。。。
都城市には、平成8年から生活を始めて、 三股町の 東歯科医院 では、それからずっと11年間勤務していました。
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自分が歯科医師国家試験落ちた時にも、1年間待っていてくれたすごく優しい院長先生だったので
同じ歯科医院にずっと勤務することができました。
11年間同じ歯科医院に勤務するというのはこの業界ではめずらしいのですが、開業する3年くらい前から準備させていただいたので、
見学したかった予防歯科の第一人者で山形県酒田市にある
熊谷 崇 先生 の
日吉歯科診療所
の見学や院内LANを組む時の相談で新潟県にいらっしゃる
歯科IT研究会
の会長の
鷲沢 直也 先生
とお話する機会もいただきました。
( この新潟から山形に行くときも普通なら海岸線の日本海側をJRですぐなのですが、あいにく向こうに行ってからの集中豪雨で海岸線の道路も線路も通行止めになり、大宮まで戻っての新幹線での山形入りという貴重な経験でした!
本当にけっこう皆さんがあまり経験したことないようなことも多くあり、経験値だけは高いと思います! )
そもそも、そのころから実家がある鹿児島市は歯科医院過剰っていわれている地域でしたし、
将来開業するならあまり鹿児島からも遠くなく、住みやすいところという点で都城市に決めました。
実際、このころ都城市は物価や環境などからも全国で住みやすい市町村のトップテンに入っていました。
で、就職して2年目の平成9年の9月に妻と付き合って7年目の28歳のときに結婚して、
平成11年の元旦に長女:亜蓮(あれん)誕生!!
平成13年の3月22日に次女:梨乃(りのん)誕生!!となりました。
今では娘2人ともに成人して親元を離れていましたが、令和3年4月から長女が自分の歯科医院で
受付 として働いてくれていて本当にありがたいです。
親子一緒に働くことができている環境に 「 感謝 」 です。
結婚してから、あっという間に25年以上経ちました。
開業する前は、子供とよく遊ぶ時間などあったのですが、開業してからはなかなか時間がとれずに家族にも迷惑かけているかと思います。
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反省してこころにも余裕もって、家族との共有時間を今以上にとろうと常に考えています。
歯科医師の方々との付き合いももちろん大切ですが、自分は異業種の方々とお話することが楽しいです。
それで、娘たちが幼稚園生(聖ドミニコ学園幼稚園)のときは、すすんで役員を引き受けて 有給休暇を利用して役員会に出席して、副会長と会長の2年間で特にいろんな方々と接することができたことに感謝しています。
【 ところで自分がいつも海外研修や海外ボランティアに行くときも必ず身につけているいるお守りにしているものがあります。。。それは自分が1年目の歯科医師国家試験落ちたので2年目の受験する時に、妻が自筆で和紙に書いてくれた「 確実 」という言葉と4つ歯のクローバーの押し花 なんです。】
この 「 確実 」に合格するように書いてくれた想い がうれしくて、とても勇気付けられました。それからは海外に行った時などにも「 確実 」にまた日本に戻ってこれるようにいつも財布の中に忍ばせています。
海外研修や海外ボランティアに行くときなども、何の相談もなく1人で決めているので、毎回妻は不安だったこともつい最近聞きました。
これからもずっとこの妻からの想いは大事にしていきます。

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