院長紹介

院長 葉 清貴 先生を紹介します

院長あいさつ

医療法人社団ハートデンタルクリニック 院長 葉 清貴

まずは、当クリニック開業とともにホームページ開設10年経過してリニューアルしたHPにもアクセスしていただき、どうもありがとうございます。

当クリニックをより多くの方々に知っていただきたく、2007年4月5日の開院と同時にホームページを開設いたしました。

皆様のご支援もあり、2013年5月1日から2007年に開業して約6年経過して、いろいろな社会貢献も見据えて新たに『 医療法人社団 ハートデンタルクリニック 』として開院いたし ました。

これからも皆様のご意見などを参考にさせていただきながら 発展していきたいと思いますので応援よろしくお願いいたします。

さて、自分のことを書きますが、まずよりよく知っていただくためにいろんなことをブログなどにも掲載していきます。

こういう人物と分かった上で、ご来院いただき話に花咲かせましょう!^^

いろいろなことに興味ありますが、まだまだ未熟者ですのでいろいろ教えてくださいね。

院長先生ってどんな人???

(生年月日・血液型)昭和43年10月20日生まれ 申年 A型

ちなみに19才のときに交通事故の手術で入院するまでは、自分の血液型を「B型」だと思っていたので、

看護婦(士)さんに「A型」と言われたときに、「B型」だと言い張って再度検査してもらったらやっぱり「A型」でした。^^

続きを読む・・・【 自分は8人兄弟の末っ子で父は「O型」で母「B型」なので、10人家族いて、当たり前ですがほぼその2つの型なんです。。。

長女と自分だけが「A型」でしたが、なんせ昔は血液型ってあんまり検査とかしたことなかったんですよね~

結局19才まで大きな病気もケガもすることなかったんで、知らなかっただけなんですが。。。 】
そういわれるとだんだん「A型」のような気になってきたのか?、今ではよく几帳面だといわれます。

部屋の片付けなどは苦手ですが、いったん綺麗な状態になるとしばらくはその状態を保っています。

自分が「A型」だといわれるのは、よく自分の書いた字を見た時です。なんと白紙に書いても、”これって定規使って書いたでしょ?”って必ずいわれます。

あと、医院でスタッフたちは 細かいっていいますけど。。。



(性格)間違いなくポジティブ、頑固、負けず嫌い

もう少し現実を見ればっていわれるくらいですが、自分の考えを曲げないっていう厄介な面もあります。

以前、歯科医師になってしばらくしてセミナー受講したときに大学生( 鹿児島大学 )のころの先生に久しぶりに会って話しかけられたので、”自分のことをよく覚えていましたね?”とたずねると”だって学生にこうじゃないって怒られることはあんまりないからね”と言われました。たぶん、そうだったんでしょう。。。

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今では、相手の気持ちなども考えて以前よりは少なくなったと思いますが、自分が間違っているのでは?って思ったことは、心にためるのではなく相手に伝える方だと思います。言い方は自分では大人になったと思いますが。。。

あとは高校生( 鹿児島県立鹿児島中央高等学校 )の3年の大学受験の時も、担任の先生に”歯学部は無理!”って言われ続けました。
無理もありません。合格判定の可能性が、E判定で5パーセント未満ってでてるんですから。。。
それでも、落ちてもいいので歯学部受験するっていって、自分の考えを突き通し、見事に現役では落ちました!

だって自分が行く気がない学部(高校の先生にすすめられた学部)に行くのってなんか納得いかなかったんです。。。

この頃からずっと、自分でなんでも決断してましたね!

【  そう言えば、この高校生の時の期末試験の当日の朝に雨が降っているのにも関わらず、親の反対を振り切りバスでなく自転車で通学し、家を出てすぐの坂道の下り坂で転倒して 一時的記憶喪失 になったこともありました。
その時も記憶がなく出血しているのにも関わらず、そこから200mくらい歩いて高校行きのバスに乗り、ちゃんと高校の前のバス停で降りて靴箱の前でボーっと突っ立っていたところ(すでに1時間目が始まる時間を過ぎていて)を教頭先生に見つけてもらい、脳神経外科の病院に行ったそうです。。。(※逆に今はその時の記憶はありません!)
病院では駆けつけてくれた母親に訳分からないことを言っていて、とうとう頭がおかしくなった・・・とすごく心配されたみたいですね。
そこからも夕方までずーっと家で寝ていて2~3日は家でも訳分からないことを言っていたそうなので。。。(笑)

この話しを後から聞いた時に、客観的にみて

 「 記憶喪失になっているのに、試験日だったから?遅れてでもきちんと高校まで行ったのは使命感すごい! 」

って考えたのは自分だけでしょうか? (笑)  】

最終的には、これから先の自分の進学する大学(学部)だけにとどまらず、浪人した時の予備校、一浪した時の受験する大学(学部)、大学留年した時の一年間の過ごし方、大学卒業する時の就職先、歯科医師国家試験落ちた時の一年間の過ごし方、結婚する時の相手や時期、開業する時、自宅を建てる時etc.などなど

いいか、悪いかは別として全部誰に相談するでもなく、自分1人で決めてきました!


【 ちなみにこの写真は、大学生のころの写真で、剣道部の後輩の治療をしている写真です! 】

【  話しが目まぐるしく変わりますが、前向きっていうのは大学受験で落ちた時は車の免許をとり、国家試験で落ちた時は、4級小型船舶(今の2級)の免許を取りました。

続きを読む・・・何かマイナス要素がある時にはプラスの要素ももってこないと気がすまない性格なんでしょうかね?
ちなみに大学1年の時にすでに留年が決まって、その留年している一年間の中で鹿児島の不動産屋でアルバイトしていた時に出逢ったのが、妻です!

他にも車の免許を取る時に、最後に学科試験ってありますよね?マークシート形式で、ほとんどの人が落ちることないと言われているその試験でも、なんと落ちました。。。

受験する時は自動車学校のマイクロバスで鹿児島市から試験会場の帖佐という町まで30分くらいかけて送ってもらい、もちろんほぼ全員合格するのでみんなでそのバスで帰るのですが、落ちるとJRで各自帰らなければならないのでけっこう孤独感味わいました。。。  

あと歯科医師国家試験(これもマークシート形式の試験)落ちた時も、その発表を見て、なんと新聞が間違っている!と言い張り、明日の新聞に「 この人は実際は合格していました 」っていう訂正文が掲載されるはずって言っていたらしい。。。( ※ 自分は覚えていないけど、妻が覚えていてついこの前20年ぶりくらいに聞いて、自分ですら大笑いしていました!)  】


 

つまずいたっていいじゃないか にんげんだもの

なので、この相田みつおさんの言葉が20代からの自分の座右の銘なのです。他にも 

『 チャレンジして失敗することを恐れるよりも、何もしないことを恐れろ!( 本田 宗一郎) 』 
『 なんでもいいから、まずやってみる。それだけなんだよ。(岡本 太郎) 』
 
このお二人の言葉も同じように大好きです!^^

世間一般的に言う 失敗 経験が多い自分だからこそ、より多くのことに『 挑戦 』 できていると考えます。

失敗のないことは、失ったりするものもない代わりに得ることがまったくないから、自分はいくつになっても新しいことに 『 挑戦 』 し続けたいです!^^
ちなみに青い薔薇の花言葉は 「 夢叶う 」 なんです。

続きを読む・・・それもあり、大好きな青い薔薇に大好きな言葉を書いて画像として残してあります。。。

さあ、そこでです。

うちの実家はもちろん歯科医院でもなければ(ラーメン屋さん)、どちらかというと苦しい家計(給食費はいつも遅れて学校の先生によく注意されてました!)だったので、予備校に通うにもアルバイトをして自分で稼がなくてはなりませんでした。

( 性格上、長男?って言われるのですが実際は8人兄弟の末っ子で次男ってことは姉6人!一番上の姉とは18才の親子ほどの年齢差があります! )

それは大学入ってからも同じだったのですが、ここからいろんなアルバイトをしていきました。 

一番最初は中学生 ( 鹿児島市立天保山中学校 ) のころの 新聞配達 からアルバイトの歴史は始まりました・・・

【 ちなみにこの写真は中学生のころの写真で、自分の天保山中生1人、隣の甲東中生2人、近くの鴨池中生2人の連合チームのスポーツ少年団で結構活躍していた頃の写真です! 】

このころももちろん、小学3年生から剣道を続けていましたので、朝4:50分起きは体力的にはきつかったのですが、親の方針で  自分で責任とれるなら、何をやってもかまわない といわれていて、『 勉強しなさい! 』って言葉はほとんど聞いたことありませんでした。

続きを読む・・・そもそも狭い家で兄弟多いため、もちろん自分の部屋などなく勉強する部屋も共同の机も自分が小学校低学年のころは、姉や兄は中学生や高校生でいろんな試験もあったので、「 お前は勉強せんでいいから、あっち行け! 」ってよく部屋からも追い出されていました (笑)

こういわれると、最初のころは自由でいいのですが、さすがになにかしら自分でも考えて行動するものですね!
今では親のこの方針に感謝しています。

高校受験のときにはギリギリで志望校( 鹿児島県立鹿児島中央高等学校 )に合格していたみたいで、最初の家庭訪問の時に1学年505人の高校だったのですが、500番以以降で合格していたことを告げられました・・・
というのも、高校1年生になってすぐの実力テストで中学までは苦手だった数学が、高校になってからの先生の教え方が好きで頑張ったら数学は満点で、いきなり5教科が学年全体で2番の成績になったので、先生がビックリしてつい言ってしまったらしいのです!^^

この頃からですかね?  なんでもやればできる!  って考えて、自己概念高くなっていったのは!!!(笑)


アルバイト経験

と、まあいろいろ書きましたが、アルバイト経験はよくある

家庭教師・塾の先生から、テント設営・どぶさらい・英会話教室のポスター貼り・不動産屋さんの案内・警備員・飲み屋さんのウエイター・ラーメンの訪問販売・県内一円の自動販売機のホット切り替え・3トントラックの運転手(主に鹿児島市周辺の冷凍食品の配達)・建築/土木関係は地質調査(ボーリングも)から道路の夜間舗装工事・上下水道工事・建築外装・内装・法面工事
などいろいろやりましたね。。。

あまり経験しないものでは、『 自動販売機のホット切り替え 』のアルバイトというのがあって、10月ころからあったかいものが出てきますよね?それで自動販売機のここの列からここまでをあたたかいのにする、などあるのですが、間違って炭酸飲料のコーナーをホットにしてしまって、店のご主人から、「 自動販売機の中が爆発してるっ! 」というお電話をいただいて急いでかけつけたのもいい思い出です。
ちなみに1ケース買取でした。。。(笑)

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また『 警備員 』のアルバイトの時には、シフトによっては天文館のビル建設工事の時のダンプなどの工事現場への誘導などを昼間にして、そのまま夜は夜間工事の道路の交通整理に行ってほぼ丸一日寝ずに働いていたこともありました。。。昼の警備員の時には現場で働く鳶職人の方々とお昼を食べている時などに、

「 若いのに警備員するのではなく現場でちゃんと体を動かして働け! 」

と叱咤激励?(笑)されて、とび職にスカウトされた時もありましたね~!

1番きつかったバイトは、歯科医師国家試験落ちた26才の時にした 熊本の五木村の川辺ダム(ちなみに自分が生まれる前から始まった工事現場です)でのボーリング(地質調査)です。

 

( ※この時は国家試験落ちた後の10月まで半年近くしていて、ダムの地盤調査や川内原発の地質調査などにも大学生のアルバイトを連れて現場監督として働くまでになっていました!このバイトの時にも、もう歯医者さんにならなくていいからこの業界で働けば?ってスカウトされていました!^^ 

この10月までアルバイトしていたのも、それなりの理由があるんです。。。

自分は1年間勉強だけ!っていうのは性格的にも難しいと思っていて、続いて3~4ヶ月が限界と考えていたので、受験の2月から逆算していったんです。

すると現役では難しかった国家試験も自己採点では満点近くとれるまでに集中してできるようになっていました^^^)

これは月曜日の朝から車で2時間かけて行って、1週間泊り込みで土曜日の夕方に鹿児島に帰れる、というものでした。ちなみに1泊3食付で3,000円(アルバイト代から差し引き!)の旅館で、その旅館はダムが完成すれば、いずれは水没するというところでした。
昼のお弁当にはなぜかいつもバナナが入っていて、食べていると野生のサルがそれを狙ってくるような山奥なのです。
結構、肉体的にも精神的にもこたえたバイトだったですが、今でもきついときにはそのアルバイトを思い出して頑張れるイイ経験になったと思います。。。

歯科医師 を目指したきっかけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 ちなみにこの写真は小学5年生のころの剣道の試合で福岡行った時のものです! 】

またまた戻って、自分が小学生( 鹿児島市立城南小学校 ) のころになります。

( ちなみにこのころは、小学3年生から剣道を始めたので、高校までずっと坊主頭一分か三分刈り!!・・・今でもときどき坊主頭にしますし、普段もほぼそれに近いです。


この前も患者様に「 ここの先生は7:3分けじゃないね~。歯医者さんて感じじゃないっ! 」て言われました。それは自分でも重々分かっています。

続きを読む・・・初対面の方で自分の職業分かる方はあんまりいないでしょう。。。)

ところで小学生のころに むし歯予防のポスター って書きますよね?
あれで(小5の時に市で)入選したんです。


それが、歯 というものを最初に意識したことかなって思います。
そのときも居残りで書かされてて先生のいなくなったときに、そのままの状態でこそ~っと置いて帰ったら、入選してたんでびっくりしました。

家と小学校とは、小さい道路1つ隔ててるだけだったので、朝は始業のチャイムが鳴ってから、家をダッシュで出ても間に合う距離でした!^^

ちなみに小・中学生のときの好きな教科は図工と体育(~水泳と持久走以外~)でした。あと、小学校が全国保健優良校だったので毎週土曜日にみんなで フッ素洗口 をすることが当たり前になっていたのもきっかけになったかな、と思います。


その フッ素洗口 のおかげもあり、 50歳過ぎた今でもむし歯で歯を削られたことがないんです! 大学生のころに実習で削ったくらい?

その後は矯正治療も40歳過ぎてから、マウスピース矯正(インビザライン)が確立されたころに自分で治療計画を立ててマウスピース矯正(インビザライン)で歯ならびも治療しました。

なので治療する患者さまの気持ちが分からない所はあるかも知れませんが、むし歯にならないようないろいろな予防のアドバイスは出来ると思います。

どうです?こんな歯医者さんに治療してもらうのは!?


それよりも歯科医師になったきっかけとして大きかったのは、自分と2人しかいない男兄弟の15歳離れた自分の性格をよく知るサラリーマンの兄に、

       「 清貴にサラリーマンは向いていない! 」

から、手に職をつけた方がいい!って何回も言われ続けたからというのも大きいですね。。。

自分は性格的に人に雇われるのは無理って感じていたらしいんです!^^

それで医者か歯医者かで悩んでいた時に、注射が苦手で血を見るのも苦手だったので 歯医者 の方を選択したんです!!!

でも結果よく考えたら分かることなのですが、大学でも同じように 人体解剖 ありましたし、今でも抜歯したら血を見ますけど。。。(笑)

ただ注射をするのはまったく苦手ではないんです。されるのが嫌なだけで!(笑)

【 自分の50歳過ぎてからのレントゲン写真と口腔内写真です! 】

このころの小学校の卒業文集にも将来は医者(歯医者じゃない?)になって治らないといわれている病気を治したいと書いてあります。

自分が予防に取り組みたいっていうのも、なんとなくわかるような気がしませんか?

本当に、今思えば小さいことがきっかけとなっているものです。

都城にきてからは。。。

都城市には、平成8年から生活を始めて、三股町の 東歯科医院 では、それからずっと11年間勤務していました。

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自分が歯科医師国家試験落ちた時にも、1年間待っていてくれたすごく優しい院長先生だったので同じ歯科医院にずっと勤務することができました。

11年間同じ歯科医院に勤務するというのはこの業界ではめずらしいのですが、開業する3年くらい前から準備させていただいたので、見学したかった予防歯科の第一人者で山形県酒田市にある 熊谷 崇 先生 の 日吉歯科診療所 の見学や院内LANを組む時の相談で新潟県にいらっしゃる 歯科IT研究会 の会長の 鷲沢 直也 先生 とお話する機会もいただきました。

( この新潟から山形に行くときも普通なら海岸線の日本海側をJRですぐなのですが、あいにく向こうに行ってからの集中豪雨で海岸線の道路も線路も通行止めになり、大宮まで戻っての新幹線での山形入りという貴重な経験でした! 本当にけっこう皆さんがあまり経験したことないようなことも多くあり、経験値だけは高いと思います! )

そもそも、そのころから実家がある鹿児島市は歯科医院過剰っていわれている地域でしたし、将来開業するならあまり鹿児島からも遠くなく、住みやすいところという点で都城市に決めました。

実際、このころ都城市は物価や環境などからも全国で住みやすい市町村のトップテンに入っていました。
で、就職して2年目の平成9年の9月に妻と付き合って7年目の28歳のときに結婚して、平成11年の元旦に長女:亜蓮(あれん)誕生!!平成13年の3月22日に次女:梨乃(りのん)誕生!!となりました。

今では娘2人ともに成人して親元を離れていましたが、令和3年4月から長女が自分の歯科医院で 受付 として働いてくれていて本当にありがたいです。

親子一緒に働くことができている環境に 「 感謝 」です。

 

結婚してから、あっという間に25年以上経ちました。

【 自分と妻との25年以上前の結婚式の時の写真です! 】

開業する前は、子供とよく遊ぶ時間などあったのですが、開業してからはなかなか時間がとれずに家族にも迷惑かけているかと思います。

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反省してこころにも余裕もって、家族との共有時間を今以上にとろうと常に考えています。

歯科医師の方々との付き合いももちろん大切ですが、自分は異業種の方々とお話することが楽しいです。

それで、娘たちが幼稚園生(聖ドミニコ学園幼稚園)のときは、すすんで役員を引き受けて有給休暇を利用して役員会に出席して、副会長と会長の2年間で特にいろんな方々と接することができたことに感謝しています。

そしていよいよ開業してからは。。。

それで、次女が小学1年生になり手も少し離れる年の3月31日まで東歯科医院で勤務していて、それからわずか5日後の4月5日に ハートデンタルクリニック を開業しました。
それからは6年後に 医療法人社団 ハートデンタルクリニックとなり、現在に至ります。  

日本ヘルスケア歯科学会
日本ヘルスケア歯科学会
日本フィンランドむしば予防研究会
日本フィンランドむしば予防研究会

開業以来2つの会員になっていて今なお所属していることからも分かるように、予防やむし歯にそもそもならないように!ということにいかに関心が強い歯科医師だったのか?ということが分かると思います。。。

最近では、定期検診受診率などでも圧倒的に高い北欧の「 予防歯科 」に対する考え方を学ぶために 「 日本スウェーデン歯科学会 」 の会員になり学んでいます。

北欧の生活実態(習慣)などもこの目で見て把握して当医院でも活かせるようにいつかは行きます!^^

     日本スウェーデン歯科学会

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自分が 医療法人化したのには娘たちが事業承継しないこともあり、将来を見据えて法人の価値を高めてからの譲渡ということも視野に入れてはいたのですが、それ以上に もっと社会貢献したい! という気持ちが強くありました。

【国内含む海外でのボランティア、海外研修での活動etc.】

それで2014年から、患者さまから外した金属冠などをすべて 日本財団の Tooth Fairy プロジェクト https://www.tooth-fairy.jp/に寄付。

 

その寄付金で ミャンマー に学校の校舎を建てて、その校舎を建てた学校に 歯科検診  や 生活習慣実態調査 に行くという 海外ボランティア事業 に積極的に 2015~2017年の3回 参加しました。

2017年 春、宮崎地方局のTVでも土曜日夕方にミャンマーでのボランティア活動を2年間継続している歯科医師としてコーナーで紹介していただきました。



その時の想いとしては。。。

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綺麗ごとに聞こえるかもしれないが、メディアにでるのも自分自身がボランティアをしていることをアピールする場ではなく、こういう環境が世界の中にはあることを気付いてほしかったから。。。

今、普通に歯磨きができる環境や歯医者さんに行ける環境が当たり前になっている日本。

ミャンマーでも地域差は大きいが、自分たちがボランティアに行く地域はほぼライフラインも十分ではない場所が多い。

それは1年間の患者さまの口腔内から撤去した金属を日本財団に寄付して、まだ教育するのに校舎が足りない学校などに日本財団が校舎を建設し、そこの学校の生徒たちを訪問するので、生活水準があまり高くない地域に必然的に行くことになる。

自分が寄付したものが、どこでどういう風に使われているかを知ることができるという点で、自分は日本財団の活動に賛同している。

校舎建設も100%出資するだけではなく、村などにも一部資金を調達していただき、その診査の結果を村長さんが本当に命がけで待っているということも今回伝え聞いた。

ただ出資するだけは簡単なこと!

校舎の建設が、そこまでの村を上げての大きなことだからこそ、自分たちの検診訪問時は村全体でのあれだけの大歓迎になるのだろう。。。

ミャンマーでの大歓迎は、自分が職業として選択した 『 歯科医師 』 冥利に尽きる!

検診のリーダーとして参加させていただいたが、訪問した学校の生徒の言葉で一番嬉しかったのは、

 

『 こんな遠くまで日本の方、しかも歯科医師の先生たちが来てくれてとても嬉しいです。今、この瞬間もうれしくて泣いてしまいそうです。。。
この嬉しいことを体験した自分が、今度大きくなったら他の国々に行って役に立てるようになりたいです! 』




ということを聞いた時。

聞きながら自然と涙があふれてきた。。。

日本で一般の歯科医師として、歯科医院の中で診療しているだけでは味わえない、本当に「 求められている 」ことを実感できる最高の瞬間を味わった者だからこそ、このボランティアに関わるリピーターが多いのだろう。

男性歯科医師の中では、自分が最年少 という (笑)

歯磨きしたくてもライフラインがない環境では水道水も電気もない。

夜になると暗いので、必然的に歯磨きしにくい環境なので習慣化も難しい。


また歯が痛くなっても歯医者の先生に診てもらったことがない方がほとんどで、痛くなった時には、歯に薬をつめて神経が死ぬのを待つだけ。。。

そういう環境を目の当たりにすると、今の日本の状況がいかに恵まれているのか?

歯科医院での例を挙げると、

歯医者さんに行って予約時間を待たされるだけでイライラすることもあるだろうが、その歯医者さんは待たせている間、ゆっくり休憩して待たせている人などいないだろう。

精一杯他の患者さんの治療にあたっているのではないだろうか?

予約外で行って診てもらえないこともあるかもしれない。

でも、その間は予約を守って下さっている患者さまを優先的に治療するのは仕方ないのでは?

痛みが強いのになんですぐ診てくれないのか?という場合も、予約の患者さまがいらっしゃるので待つかもしれないが診ます、というところがほとんどではないだろうか?   etc.

人はどうしても恵まれている環境に置かれている時には、利己的になり自分中心で考えてしまい、何でも当たり前になっていて在り難さを忘れてしまっている。。。

もう一度気付いてほしい。

当たり前のことなどなく、すべてのことに 「 在り難う 」という感謝する気持ちを。。。

自分は最近特に 「 自分自身が変わろう 」 という意識を強く持っている。

その根底にあるのは、『 相手は精一杯全力をだしている 』という前提で物事を考えること。

そうすると、相手のしていることに対して一呼吸置くことができる。

やはり、すべては自分自身の捉え方次第で、考え方や言動・行動も変わってくる。

自分自身がまだまだなので、まずは自分から変わる行動をしていく!

 

みんなが利他的に 『 For you! 』 の精神 で、お互いを思いやって考えていくことになると世の中も世知辛くなく、いい人間関係になっていくのではないかなぁ~と考える。



 

ミャンマーでの一番大きな経験と言うと。。。


それは、いい意味での自分が変わった瞬間を実感できたこと。。。

 

ボランティア1年目の2日目の小学校での検診終了してからバスに揺られること1時間半程度?
2日目ホテルは湖上にあったので、ホテルまでは船着場からボートで約15分とのこと。何も考えることなく、よくTVで見るボートに簡単なエンジンがついただけの船に乗り込み早くシャワー浴びたいな~と考えるくらいの何気ない日常。ただ暗いという以外は・・・船着場をでてからも雨が降っていたので、少し寒さを感じながらチラチラ時計をみるくらいだったけど、どれくらい経過した頃だろう。。。

「 これ、迷とるで。。。  」

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の声。

確かに時計を見ると明らかに30分以上は経過していて、そのうち何回か土手につくものの目的地ではなく。。。

しかし、あたりは真っ暗で乾季だというのに雨も強く降ってきて。昼は30度近くまであがるということでTシャツ1枚だったけど、念のために持ってきていたのは薄手のカーディガンのみ。

本当に寒さを感じだして、そのうち1時間経過。しかし湖上の真ん中で途方に暮れている。まあ、これもいい経験。めったに経験出来ることではないし、この瞬間この危機をいかに乗り切るか?をいろいろ考えることもまた経験!
                    「 経験にまさるものなし!  」


そのうち自分の中で覚悟を決めた。

まあ、こんな天候で暗い中でこの状態なら最悪明日の夜が明けるまで待たねば、かな?とも考え極力じっとして体力温存。

他の4艘は添乗員さん、もしくは現地ガイドさん、もしくは財団のスタッフが1人は乗っていたのだが、このボートだけはDr.5人のみ・・・

その中で考えたこと。多分いつもの自分なら・・・国内ではたいがいのことは自分の考えた通りのことは思い通りになるため、自分の考えた通りにならないとやはり感情としてはイライラするはず。。。でもこの時は、「 身を任せる 」ことにした。

だって船頭さんは携帯TELも持たず(たぶん湖上ではつながらないかも?ですが)、誰一人言葉は日常会話は通じない状態なので。またこの湖上のど真ん中でガス欠になる最悪のことも考えたころ、突如ペンライトのような光がいくつも見えてきて。。。

やっと皆が出迎えるホテルが見えた時に考えたこと。ここでも、遭難していた自分たちが意気消沈したり、怒ったりしたら周囲の方々はとてもツライだろうということを真っ先に考えた。

そして満面の笑顔で  「 ただいま^^ 」 と言いながらダッシュでトイレへ。

そう、湖上ではボートはずっと走っているし寒いしでトイレを一番我慢してた^^

その夜の食事会でも、そのボートに乗っていたメンバーが早く部屋に戻ったら、周囲が気を遣うかな?と考え12時過ぎまで盛り上がり!

そう、 自分の思い通りにならないことも多分にある・・・ ということに気付いて、少し自分が成長したかな?と実感できた出来事。

そういいながら、何事もなかった次の日も12時過ぎまで飲んでいたのは何故?(笑)

本当に、今『 国内で当たり前の状況が実はすごく恵まれている 』

ことを再発見。帰国してからは、1人1人の患者さまにさらに向き合うようになったかな?

このツアーに参加した「 歯科医師 」としてまた1人の「 人 」として できるだけ社会貢献したい、と漠然と考えていたころから、実際に行動にうつして本当によかった。。。と1番最初の海外ボランティアでそう感じたので今まで何回も経験している。


ちなみに上の画像は、そのボートに乗っていたDr.がたまたま奇跡的にGPSログを記録していたのでボートの軌跡が分かったというもので北から南へわずかな距離を大幅に彷徨ったことが分かります^^

 

また 2017年、2018年の2回 は別の 特定非営利活動法人 JAVDO(日本歯科ボランティア機構)という主に北海道の先生方を中心とした団体に、九州からは1人で参加してベトナムのハノイというところで 歯科検診 と 歯科治療(レジン充填や抜歯、フッ素塗布etc.) もしていました。



2年目の時には大学2年生の長女と一緒に参加できたのが、今では一番の思い出となっていますが、本当は次女が大学2年生で長女が4年生の時には3人一緒に参加する計画だったのですが、それもこのコロナ禍で叶わず。。。でした。
ただこの時の経験もあり、長女が 歯科 にも興味を持ち、歯科助手・受付 として現在当医院で働いてくれているのだと考えます!

そういえばベトナムでも自分たちが乗ったバスだけがエンジントラブルで1時間以上動けず。。。という経験もしました!



ミャンマーでもベトナムでもいろんな経験して人間的にも大きく成長できた気がします!



さらにボランティアという点でいうと、ミャンマーのボランティアの時の Tooth Fairy プロジェクト で国内では、2017年と2019年の2回にわたって小児糖尿病の方々のキャンプでの歯科検診にも参加しました。

これは自分が 日本糖尿病協会歯科医師登録医 としても活躍できる場で貴重な経験でした!



他にも 2016年と2017年には、審美とインプラントの勉強に 海外研修 で ペンシルバニア大学 と ハーバード大学 に行ったのも今ではイイ思い出です。

一番最初にまずびっくりしたのが6月8日のA.M.8:30に現地集合!(ペンシルバニア大学の歯学部)に(@_@)ビックリでした!


まるで 宮崎市の大学前 で待ち合わせするかのような。。。(笑)

この時の MID-Gメンバー の凄いのが、みんな学ぶときにはしっかり学んで、夕方~はしっかり食事して楽しんで遊んで。また翌日にはしっかり学ぶ!

ということの徹底に刺激を受けましたね~^^

(※自分はしっかり講義中に眠たい時にはしっかり寝て、“ 寝るVP ” の称号もらったくらいなのでどういう感じで講義を受けていたか???想像つくと思います。。。 ちなみに自分は夕食の時間がとっても楽しみでしたが。。。)

海外ボランティア や 海外での研修 は 自分は歯科医院でDr.1人なので1~2週間休診にすることの覚悟も身に付きました。

今では、患者さまには申し訳ないですが、いろいろなセミナー参加や体調管理の休養のために 月に1回は必ず連休 をとるようにスケジュール管理しています。


2015年も2016年も NY に行ったのですが、ここでもまた地下鉄での経験でいうと。。。


今は コロナ禍 でなかなか叶いませんが、海外での経験は本当に人間的に大きく成長させてくれると思いますので、また機会あったらぜひ挑戦したいです!

今度は 予防歯科 の分野で先進的な 北欧 での学ぶ機会を求めていこうと考えています。。。

本当に45~50歳の時には、いろんな学びもふくめて、いろいろな良い経験をしました。

ところでコロナ禍があけたばかりの 2024年 2月に 今をときめく UAE(アラブ首長国連邦)であった国際デンタルショーである

「 AEEDC    Dubai    2024 」 で ドバイ に行ってきました!^^

この話を聞いたのは 2023年 12月の中旬 だったので、行く!と決断した自分の行動力もほめてあげたいです!(笑)

そうと決まれば準備ははやくしっかりとする方なので実質1ヶ月半は準備で充実していましたが、コロナ禍あけてすぐというだけではなく自分にとっては2020年の脳梗塞で1週間入院してからも初海外というハードルもありました。。。
他の方々に迷惑かけないだろうか?など。。。

やはり想像してた以上にドバイは華やかでしたが、現実問題いつまでこの状態が続くのかは疑問なので一時的な感情で流されるのではなく、きちんと

         『 どういう歯科医院にしたいのか? 』

というビジョン(どういう患者さまに来て欲しいのか?どういうスタッフと一緒に働きたいのか?どういう院長になりたいのか?etc.)を立てた上で、歯科診療の本質にあたることが重要なことにも気付かされました。




この下のサティフィケートは、同じ日本の全国から参加した DEXITメンバーからのものですが、各自いろんな分野で活躍しているメンバーが日本全国にいると思うと心強いものです・・・




ところで話はガラッと変わるのですが、他には 変わったところでいうと 宮崎県警察歯科医会 会員 としても登録しているので、検死に立ち会ったりした経験もあります。。。

自分の方が人相悪く、指名手配犯 みたいな写真になっているのはご愛敬で!^^

 

【 いろいろな講演活動etc. 】


開業して15年以上が経過して、周囲の方々からのよい評価をいくらいただいても、一緒に働いているスタッフからの評価がよくなければ意味がないのだと考えます。今でもまだまだスタッフに対しての関わり方で自分ができることが考えている中のほんの少し少ししか実践できていません。

以前勤務していた 東泰蔵先生 はスタッフに対して怒ったことを見たことがなかったので、開業してから質問したことがあります。

すると、

『 いいことはみんなのおかげさま、悪いことは自分のせい 』

という考えを持てば、怒る気持ちは持たなくなるというお言葉をいただいたことがあります。

みんな一人一人価値観が違い、その方にとっての最善を尽くしている!という考え方で、これから自分も行動していきます。。。

いろいろな学びを経験してきた中で もっとスタッフと楽しく働きたい!との考えから 『 ほめ達! 』 の3級~1級受験して、今では認定講師にもなり

続きを読む・・・

2020年 1月 には、
鹿児島の 『 霧島市学校保健会研究協議会 』 にて
200人ほどの 学校の先生や保険の先生を対象に 歯科医師 としてではなく、診療を休診して普通に『 ほめ達! 』認定講師 の1人として
『 ほめ達で教育がかわる! ~ほめて育てる極意!~ 』
について80分間講演した経験もあります。。。(笑)

『 ほめ達! 』 の定義って

「ほめ達!」とは、目の前の人やモノ、仕事で言えば商品やサービス、起きる出来事などに独自の切り口で価値を見つけ出す『価値発見の達人』のこと!

「 ほめるのは、他人をコントロールするためではなく、自分の心を整えるためのもの 」であり、すべて肯定的に捉えられるようになり、もともとポジティブな考え方の自分にはめちゃくちゃ合っていたかも?(笑)


他には、自分が スタッフマネジメント をもっとよくしたい!と考えて 2018年 1月 の 第一回 『 院長塾 』 から受講していて

2020年 2月 に行われた (※ コロナの初期の段階でリアルにお逢いできた最後の機会でした。。。)

『 第一回 院長塾サミット 』

『 大切な人に大切な時間をかける! ~患者さまをしあわせにするために~ 』

という演題で、お話する機会をいただきました!

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それ以外にも 2020年 10月 に 

『 院長塾 オープンセミナー 』 での オンライン で 

『 一歯科医師の可能性 と リスクヘッジ について 』 

1時間講演させていただきました。



ここでは、45~50歳までの海外でのボランティアや海外研修などでの一歯科医師のできることの可能性と、自分が 2020年 4月 スタッフからのアドバイスで検査したところ、今まで何回も 『 脳梗塞 』 になっていて約10日間即入院になったことについてのリスクヘッジについてお話しました。

【  他にも、今までも高速道路のトンネルで自損事故で一発廃車になるような交通事故だったにも関わらず、自分はかすり傷1つなかったり、同じく高速道路でタイヤが1本バーストしてホイールは使い物にならなくらい傷だらけでハンドルをとられるも(この時は娘2人よペット1匹も同乗!)全員無傷だったりと

九死に一生を得た経験  も豊富です!!!(笑) 】


そういうこともあり 診療時間の短縮( ~17:30まで)や月1回の連休 ということを 2020年 10月 から実施しています!^^ 

 



さらに 2021年 3月 に 

『 第二回 院長塾サミット 』でも オンライン で 

『 コロナに打ち勝つマーケティング と あり方 』

 について 1時間講演させていただきました。

『 第一回 院長塾サミット 』の時の写真は過去最高体重の84kgの時なので太ってる~、お腹が3段腹になってるよ~(笑)

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ここでは、コロナ禍(先ほどの脳梗塞での入院による約10日間の休診やスタッフコロナ感染による約2週間の休診した)にも関わらず、過去最高売り上げ達成した当医院のマーケティングとともに 2020年 8月 に スタッフPCR(+)の報告を受けてから自分がどういう行動をとったのか?ということをありのままお話しました。

➡より詳しい内容はこちらでご覧いただけます






今までのことでも分かるように、自分の行動は

 

と思っていて、特に大好きな著者には読んで感じるだけではなくて、直接逢いに行くって習性があります!(笑)



その中でも特に お気に入りの方の講演会などでは、実行委員になったりします!^^


時には 花束贈呈 の大役もこなします!^^

【 終わりに・・・ 】


ここまで読んで何か変わった人だなぁ~と感じる?いろんな経験しているなぁ~と感じる?かもしれませんが、経験こそ人生にとっての財産だと考えています!

今までもいろいろな講演活動、TV出演、雑誌の取材、出版など一般の歯科医師では経験できないことなども多く経験してきました。。。

これからの残りの人生は歯科医師として自分で満足いくところまで皆様の歯の健康に貢献したいというのはもちろんですが、自分のもっている 「 アソシエートプロスピーカー 」 や 「 ほめ達!認定講師 」 としての講師業はもちろんのこと「 デンタルコーチ認定講師 」 として同じ歯科医師の方々のコーチンングで寄り添いながら自分の大好きなインテリアや建築の経験なども活かして歯科医院のプロデュース業もしていきたい!という夢もあります。




またここだけでは書ききれないくらい(笑)、( ※ 書けない経験もたくさんある???)他にも車やインテリア、洋服、雑貨、剣道、和太鼓などなどや他にも奥さんの影響うけている花など多くのことに興味ありますので、いろいろと話しかけてみてください。

【 現在も歯科医師会剣道部の現役で、以前は8年くらい和太鼓もやっていましたが、剣道との両立を諦めて剣道をとりました。。。 】

こちらも患者様のお一人お一人の生活スタイルや趣味なども踏まえての治療計画を立てるので、スタッフにもお話をすすめています。

ここまで長々とお読みいただきありがとうございます。

では、医院でお逢いできることを楽しみにお待ちいたしております。

 

院長のこだわり

1.ゴミ箱

 

こだわりを見てみる・・・

①.診療室

何でもシンプルデザインが好きな院長の選んだインテリアは、今回は診療室内のダストBOX、いわゆるゴミ箱です。
ペダル式のトラッシュ缶タイプへ変更。

これは院内の医療廃棄物を破棄するもので、今までのタイプはペダル式ではなかったため、ミーティングでも『 手がふさがっていても捨てられるタイプがいい! 』とのことで探していたもの。

通常のペダル式は壊れやすいのが難なので、今回はネットで探した ” brabantia ” というオランダで1919年に生まれた高品質でスタイリッシュな家庭用品ブランドのもの。

直径約30cm、高さ66cmで容量は30Lのものですが、実に勝手がいい!と世界中から評価されていたので購入。

日本では、まだ10年くらいの販売実績しかないみたいですが、 この会社のミッションもすばらしいと思います。

        ブラバンシアのミッション

『  あらゆるものの ” 使い捨て ” が増えています。何かを買い、それが壊れると、買い替え、使い、捨てる…

長持ちせず、必ずしも必要のないものを、ほんの少しだけ使って、またすぐに買い換える。このようなサイクルに終わりはありません。

ブラバンシアは挑戦します。

熟練された高い技術で、信頼性の高い、丈夫でいつまでも使い続けられる製品を開発いたします。

私どもは、今現在の製品をデザインしていますが、同時に、その製品が長い間、あなたの日常生活に貢献するかどうかを考慮しています。

私どもの願いは至ってシンプルです。

美しさと機能を20年保ち続ける製品の開発です。  』

これって歯科治療にも通じる考え方でもあります。。。

どうです?なかなかいいですよね~^^

brabantiaのダストボックス brabantiaのダストボックス

②.待合室

医院待合室のゴミ箱にもこだわりあり、お気に入りのもの使用しているのですが、その中でも一番のお気に入りは

『  DANESE   』  というブランドの IN ATTESA

というデザインノもの。

1971年にイタリアの巨匠、Enzo Mari によってデザインされたゴミ箱で、一番の特徴は斜めに傾いているデザイン!

そう、子供の頃誰でもよくゴミ箱に入るかよく投げていた記憶あると思いますが、思わず放り投げたくなるような遊び心のあるデザイン。

よく見るとそれを計算に入れているのか分かりませんが、わずかに口が広くなっている!(笑)

肉厚なプラスティック製なので、高級感もありシンプルなデザインに惹かれます ^^

③.洗面所とトイレ

院内のお気に入りのインテリアで、意外とデザインが気に入っているのが、ごみ箱。。。

デザインもさることながら、実用性にも魅力感じるものです。

1枚目は  ” プラスマイナスゼロ ”

というプロダクトデザイナー深澤直人さんのデザインによるもので、有名なのが円盤状の加湿器がありますね!

デザイン家電もろもろの他にも電卓、時計、懐中電灯など意外にもインテリア全般にわたって商品あります。

これは見える部分はラウンドでやさしい感じなのですが、もう1つの部分はコーナーにぴったりとくるので収まりがジャスト!って感じで好きです。

2枚目は  ” ideaco ”

というブランドのチューブラー(TUBELOR)で インテリア用品、生活雑貨、家具の商品企画、マーケティング、デザインをしていて
流行に振り回されない、シンプルかつ機能的なもの

をいろいろ作り出しています。何といってもシンプルなのもいいし、中にスーパーなどのごみ袋をセットしても外観を損なわないところがいいですね~^^

トイレに置いています。。。

2.ベビーベッド

 

こだわりを見てみる・・・

ネットで見つけたかわいいベビーカート。

医院のベビーベッド購入も開業時から考えていたけど、あまりコレというものがなく8年近く。

ただ、これは一目ぼれに近い感じ。

イタリア家具メーカーのBEから出た4つの車輪に軽さと機動性を兼ね備えたベビーカート。

カート部分を分解して裏返すことで簡易なデスクとしても使えるので、子供が成長しカートとしての役目を終えた後はデスクとしても使えてまさに一石二鳥!

色も素材もイイ感じです ^^

3歳くらいだと Kids Room で1人で遊ぶけど、1歳くらいでつかまり立ちできるくらいのお子さんを抱っこしての診療もなかなかきついし・・・というママの方に是非利用してもらいたいです。

これからも活躍してほしい、院内の自分の大のお気に入りの1つです^^