院長紹介

院長 葉 清貴 先生を紹介します

院長あいさつ

まずは、当クリニック開業とともにホームページ開設10年経過してリニューアルしたHPにもアクセスしていただき、どうもありがとうございます。

当クリニックをより多くの方々に知っていただきたく、2007年4月5日の開院と同時にホームページを開設いたしました。

皆様のご支援もあり、2013年5月1日から2007年に開業して約6年経過して、いろいろな社会貢献も見据えて新たに『 医療法人社団 ハートデンタルクリニック 』として開院いたし ました。

これからも皆様のご意見などを参考にさせていただきながら 発展していきたいと思いますので応援よろしくお願いいたします。

さて、自分のことを書きますが、まずよりよく知っていただくためにいろんなことをブログなどにも掲載していきます。

こういう人物と分かった上で、ご来院いただき話に花咲かせましょう!^^

いろいろなことに興味ありますが、まだまだ未熟者ですのでいろいろ教えてくださいね。

院長先生ってどんな人???

(生年月日・血液型)昭和43年10月20日生まれ 申年 A型

ちなみに19才のときに交通事故の手術で入院するまでは、自分の血液型を「B型」だと思っていたので、

看護婦(士)さんに「A型」と言われたときに、「B型」だと言い張って再度検査してもらったらやっぱり「A型」でした。^^

続きを読む・・・【 自分は8人兄弟の末っ子で父は「O型」で母「B型」なので、10人家族いて、当たり前ですがほぼその2つの型なんです。。。

長女と自分だけが「A型」でしたが、なんせ昔は血液型ってあんまり検査とかしたことなかったんですよね~

結局19才まで大きな病気もケガもすることなかったんで、知らなかっただけなんですが。。。 】そういわれるとだんだん「A型」のような気になってきたのか?、今ではよく几帳面だといわれます。

部屋の片付けなどは苦手ですが、いったん綺麗な状態になるとしばらくはその状態を保っています。

自分が「A型」だといわれるのは、よく自分の書いた字を見た時です。なんと白紙に書いても、”これって定規使って書いたでしょ?”って必ずいわれます。

あと、医院でスタッフたちは 細かいっていいますけど。。。

他には「九星気学」では 『 五黄土星 』で、「個性心理学(動物占い)」では『 慈悲深い虎 』で結構占いあたっています。


また「ストレングスファインダーでの自分の5つの強み」では、
『 未来志向・最上志向・戦略性・達成欲・自己確信 』があり、過去を振り返らずに自分がこれからどこまでできるかやってみたいので、最高レベルに達するまでの計画を立て、達成するためには忙しくてもどんな困難にも立ち向かう自信があります!

mgram【 葉 清貴 を構成する8性格診断 】

最近の自分自身の性格を客観的に見るために、久しぶりに2024年でのmgram診断をまたしましたので参考にしてみて下さい・・・(笑)

さらに自分のあるあるや地雷ポイントも調べてみました!^^

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最後に詩文の取り扱い説明書も記載しますので、自分とお付き合いされる方は参考書的にお目をお通し下さい!^^

(性格)間違いなくポジティブ、頑固、負けず嫌い

もう少し現実を見ればっていわれるくらいですが、自分の考えを曲げないっていう厄介な面もあります。

以前、歯科医師になってしばらくしてセミナー受講したときに大学生( 鹿児島大学 )のころの先生に久しぶりに会って話しかけられたので、”自分のことをよく覚えていましたね?”とたずねると”だって学生にこうじゃないって怒られることはあんまりないからね”と言われました。たぶん、そうだったんでしょう。。。

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今では、相手の気持ちなども考えて以前よりは少なくなったと思いますが、自分が間違っているのでは?って思ったことは、心にためるのではなく相手に伝える方だと思います。言い方は自分では大人になったと思いますが。。。

あとは高校生( 鹿児島県立鹿児島中央高等学校 )の3年の大学受験の時も、担任の先生に”歯学部は無理!”って言われ続けました。
無理もありません。合格判定の可能性が、E判定で5%未満ってでてるんですから。。。
それでも、落ちてもいいので歯学部受験するっていって、自分の考えを突き通し、見事に現役では落ちました!

だって自分が行く気がない学部(高校の先生にすすめられた学部)に行くのってなんか納得いかなかったんです。。。

この頃からずっと、自分でなんでも決断してましたね!

【  そう言えば、この高校生の時の期末試験の当日の朝に雨が降っているのにも関わらず、親の反対を振り切りバスでなく自転車で通学し、家を出てすぐの坂道の下り坂で転倒して 一時的記憶喪失 になったこともありました。
その時も記憶がなく出血しているのにも関わらず、そこから200mくらい歩いて高校行きのバスに乗り、ちゃんと高校の前のバス停で降りて靴箱の前でボーっと突っ立っていたところ(すでに1時間目が始まる時間を過ぎていて)を教頭先生に見つけてもらい、脳神経外科の病院に行ったそうです。。。(※逆に今はその時の記憶はありません!)
病院では駆けつけてくれた母親に訳分からないことを言っていて、とうとう頭がおかしくなった・・・とすごく心配されたみたいですね。
そこからも夕方までずーっと家で寝ていて2~3日は家でも訳分からないことを言っていたそうなので。。。(笑)

この話しを後から聞いた時に、客観的にみて

「 記憶喪失になっているのに、試験日だったから?遅れてでもきちんと高校まで行ったのは使命感すごい! 」

って考えたのは自分だけでしょうか? (笑)  】

最終的には、これから先の自分の進学する大学(学部)だけにとどまらず、浪人した時の予備校、一浪した時の受験する大学(学部)、大学留年した時の一年間の過ごし方、大学卒業する時の就職先、歯科医師国家試験落ちた時の一年間の過ごし方、結婚する時の相手や時期、開業する時、自宅を建てる時etc.などなど

いいか、悪いかは別として全部誰に相談するでもなく、自分1人で決めてきました!


【 ちなみにこの写真は、大学生のころの写真で、剣道部の後輩の治療をしている写真です! 】

【  話しが目まぐるしく変わりますが、前向きっていうのは大学受験で落ちた時は車の免許をとり、歯科医師国家試験で落ちた時は、4級小型船舶(今の2級)の免許を取りました。

大学入学時に一浪、※自動車運転免許1回不合格(笑)、大学1年時に留年決定、歯科医師国家試験1回不合格 と人生経験豊富になるように?必ず挫折というか失敗は確実に1回は経験しています!(逆にすべて1回だけ経験というのも凄い???^^)

何かマイナス要素がある時にはプラスの要素ももってこないと気がすまない性格なんでしょうかね?
ちなみに大学1年の時にすでに留年が決まって、その留年している一年間の中で鹿児島の不動産屋でアルバイトしていた時に出逢ったのが、妻です!

他にも車の免許を取る時に、最後に学科試験ってありますよね?マークシート形式で、ほとんどの人が落ちることないと言われているその試験でも、なんと落ちました。。。

受験する時は自動車学校のマイクロバスで鹿児島市から試験会場の帖佐という町まで30分くらいかけて送ってもらい、もちろんほぼ全員合格するのでみんなでそのバスで帰るのですが、落ちるとJRで各自帰らなければならないのでけっこう孤独感味わいました。。。  

あと歯科医師国家試験(これもマークシート形式の試験)落ちた時も、その発表を見て、なんと新聞が間違っている!と言い張り、明日の新聞に「 この人は実際は合格していました 」っていう訂正文が掲載されるはずって言っていたらしい。。。( ※ 自分は覚えていないけど、妻が覚えていてついこの前20年ぶりくらいに聞いて、自分ですら大笑いしていました!)  】

つまずいたっていいじゃないか にんげんだもの

なので、この相田みつおさんの言葉が20代からの自分の座右の銘なのです。他にも 

『 チャレンジして失敗することを恐れるよりも、何もしないことを恐れろ!( 本田 宗一郎) 』 
『 なんでもいいから、まずやってみる。それだけなんだよ。(岡本 太郎) 』
 
このお二人の言葉も同じように大好きです!^^

世間一般的に言う 失敗 経験が多い自分だからこそ、より多くのことに『 挑戦 』 できていると考えます。

できない言い訳を考えるのではなく、できるための方法を考えるのが好きです。


成長の『 兆し 』が見えた時、そこから『 逃げる 』ことも『 挑む 』ことも選択できるので、自分はこれからも『 挑む(やるっ!) 』人生を歩んでいきたい。

失敗のないことは、失ったりするものもない代わりに得ることがまったくないから、自分はいくつになっても新しいことに 『 挑戦 』 し続けたいです!^^
ちなみに青い薔薇の花言葉は 「 夢叶う 」 なんです。

それもあり、大好きな青い薔薇に大好きな言葉を書いて画像として残してあります。。。

さあ、そこでです。

うちの実家はもちろん歯科医院でもなければ(ラーメン屋さん)、どちらかというと苦しい家計(給食費はいつも遅れて学校の先生によく注意されてました!)だったので、予備校に通うにもアルバイトをして自分で稼がなくてはなりませんでした。(※アルバイト経験は後述しています)

( 性格上、長男?って言われるのですが実際は8人兄弟の末っ子で次男ってことは姉6人!一番上の姉とは18才の親子ほどの年齢差があります! )

それは大学入ってからも同じだったのですが、ここからいろんなアルバイトをしていきました。 

一番最初は中学生 ( 鹿児島市立天保山中学校 ) のころの 『 新聞配達 』 からアルバイトの歴史は始まりました・・・

【 ちなみにこの写真は中学生のころの写真で、自分が天保山中生1人、隣の甲東中生2人、近くの鴨池中生2人の5人での連合チームのスポーツ少年団で結構活躍していた頃の写真です! 】

このころももちろん、小学3年生から剣道を続けていましたので、朝4:50分起きは体力的にはきつかったのですが、親の方針で  自分で責任とれるなら、何をやってもかまわない といわれていて、『 勉強しなさい! 』って言葉はほとんど聞いたことありませんでした。



続きを読む・・・そもそも狭い家で兄弟多いため、もちろん自分の部屋などなく勉強する部屋も共同の机も自分が小学校低学年のころは、姉や兄は中学生や高校生でいろんな試験もあったので、「 お前は勉強せんでいいから、あっち行け! 」ってよく部屋からも追い出されていました (笑)

こういわれると、最初のころは自由でいいのですが、さすがになにかしら自分でも考えて行動するものですね!
今では親のこの方針にとても感謝しています。

高校受験のときにはギリギリで志望高校( 鹿児島県立鹿児島中央高等学校 )に合格していたみたいで、最初の家庭訪問の時に1学年505人の高校だったのですが、500番以以降で合格していたことを告げられました・・・
というのも、高校1年生になってすぐの実力テストで中学までは苦手だった数学が、高校になってからの先生の教え方が好きで頑張ったら数学は満点で、いきなり5教科が学年全体で505人中2番の成績になったので、先生がビックリしてつい言ってしまったらしいのです!^^

この頃からですかね?  なんでもやればできる! って考えて、自己概念高くなっていったのは!!!(笑)


アルバイト経験

と、まあいろいろ書きましたが、アルバイト経験はよくある

家庭教師・塾の先生から、テント設営・どぶさらい・英会話教室のポスター貼り・不動産屋さんの案内・警備員・飲み屋さんのウエイター・ラーメンの訪問販売・県内一円の自動販売機のホット切り替え・3トントラックの運転手(主に鹿児島市周辺の冷凍食品の配達)・建築/土木関係は地質調査(ボーリングも)から道路の夜間舗装工事・上下水道工事・建築外装・内装・法面工事
などいろいろやりましたね。。。

あまり知られていないものでいうと 『 自動販売機のHOT切り替え 』 のアルバイトというのがあって、10月ころからあったかい飲みものなどが出てきますよね?それで自動販売機のここの列からここまでをあたたかいのにする、などあるのですが、間違って炭酸飲料のコーナーをホットにしてしまって、店のご主人から、「 自動販売機の中が爆発してるっ! 」というお電話をいただいて急いでかけつけたのもいい思い出です。
ちなみに1ケース買取でした。。。(笑)

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また『 警備員 』のアルバイトの時には、シフトによっては天文館のビル建設工事の時のダンプなどの工事現場への誘導などを昼間にして、そのまま夜は夜間工事の道路の交通整理に行ってほぼ丸一日寝ずに働いていたこともありました。。。昼の警備員の時には現場で働く鳶職人の方々とお昼を食べている時などに、「 若いのに警備員するのではなく現場でちゃんと体を動かして働け! 」

と叱咤激励?(笑)されて、とび職にスカウトされた時もありましたね~!

1番きつかったバイトは、歯科医師国家試験落ちた26才の時にした 熊本の五木村の川辺ダム(ちなみに自分が生まれる前から始まった工事現場です)での 『 ボーリング(地質調査) 』です。

 

【 ※この時は国家試験落ちた後の10月まで半年近くしていて、ダムの地盤調査や川内原発の地質調査などにも大学生のアルバイトを連れて現場監督として働くまでになっていました!このバイトの時にも、もう歯医者さんはいいからこの業界で働けば?ってスカウトされていました!^^ 

この10月までアルバイトしていたのも、それなりの理由があるんです。。。

 自分は1年間勉強だけ!っていうのは性格的にも難しいと思っていて、続いて3~4ヶ月が限界と考えていたので、受験の2月から逆算していったんです。

すると現役では難しかった国家試験も1浪したあとは自己採点では満点近くとれるまでに集中してできるようになっていました^^ 】

これは月曜日の朝から車で2時間かけて行って、1週間泊り込みで土曜日の夕方に鹿児島に帰れる、というものでした。ちなみに1泊3食付で3,000円(アルバイト代から差し引き!)の旅館で、その旅館はダムが完成すれば、いずれは水没するというところでした。
昼のお弁当にはなぜかいつもバナナが入っていて、食べていると野生のサルがそれを狙ってくるような山奥なのです。
機械式のボーリングだったのもありずっと単純作業の繰り返しで、結構、肉体的にも精神的にもこたえたバイトだったですが、今でもきついときにはこのアルバイトを思い出して頑張れるイイ経験 になったと思います。。。

歯科医師 を目指したきっかけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 ちなみにこの写真は小学5年生のころの剣道の試合で福岡行った時のものです! 】

またまた戻って、自分が小学生( 鹿児島市立城南小学校 ) のころになります。

( ちなみにこのころは、小学3年生から剣道を始めたので、高校までずっと坊主頭一分か三分刈り!!・・・今でもときどき坊主頭にしますし、普段もほぼそれに近いです。

この前も患者様に「 ここの先生は7:3分けじゃないね~。歯医者さんて感じじゃないっ! 」て言われました。それは自分でも重々分かっています。

初対面の方で自分の職業分かる方はあんまりいないでしょう。。。)

ところで小学生のころに むし歯予防のポスター って書きますよね?


あれで(小5の時に鹿児島市で)入選したんです。

それが、歯 というものを最初に意識したことかなって思います。
そのときも居残りで書かされてて先生のいなくなったときに、そのままの状態でこそ~っと置いて帰ったら、入選してたんでびっくりしました。

家と小学校とは、小さい道路1つ隔ててるだけだったので、朝は始業のチャイムが鳴ってから、家をダッシュで出ても間に合う距離でした!^^

ちなみに小・中学生のときの好きな教科は図工と体育(~水泳と持久走以外~)でした。あと、小学校が全国保健優良校だったので、小学校の6年間は毎週土曜日にみんなで フッ素洗口 をすることが当たり前になっていたのもきっかけになったかな、と思います。


その フッ素洗口 のおかげもあり、 50歳過ぎた今でもむし歯で歯を削られたことがないんです! 大学生のころに実習で削ったくらい?

その後は矯正治療も40歳過ぎてから、マウスピース矯正(インビザライン)が確立されたころに自分で治療計画を立ててマウスピース矯正(インビザライン)で歯ならびも治療しました。【 自分の50歳過ぎてからのレントゲン写真と口腔内写真です! 】 

なので治療する患者さまの気持ちが分からない所はあるかも知れませんが、むし歯にならないようないろいろな予防のアドバイスは出来ると思います。

どうです?こんな むし歯になったことがない歯医者さん に治療してもらうのは!?


それよりも歯科医師になったきっかけとして大きかったのは、自分と2人しかいない男兄弟の15歳離れた自分の性格をよく知るサラリーマンの兄に、

       「 清貴にサラリーマンは向いていない! 」

から、手に職をつけた方がいい!って何回も言われ続けたからというのも大きいですね。。。

自分は性格的に人に雇われるのは無理って感じていたらしいんです!^^
( ※ そう言われながらも、三股町の東歯科医院では歯医者さんでは珍しく1つの歯科医院で勤続11年という・・・、これは自分をそういう環境にしてくれた院長先生が凄いっ!!!今でも感謝しています。)

それで医者か歯医者かで悩んでいた時に、注射が苦手で血を見るのも苦手だったので 歯医者 の方を選択したんです!!!

でも結果よく考えたら分かることなのですが、大学でも同じように 人体解剖 ありましたし、今でも抜歯したら血を見ますけど。。。(笑)

ただ注射をするのはまったく苦手ではないんです。されるのが嫌なだけで!(笑)

このころの小学校の卒業文集にも将来は医者(歯医者じゃない?)になって治らないといわれている病気を治したいと書いてあります。

自分が予防に取り組みたいっていうのも、なんとなくわかるような気がしませんか?

本当に、今思えば小さいことがきっかけとなっているものです。

都城にきてからは。。。

都城市には、平成8年から生活を始めて、三股町の 東歯科医院 では、それからずっと11年間勤務していました。

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自分が歯科医師国家試験落ちた時にも、1年間待っていてくれたすごく優しい院長先生だったので同じ歯科医院にずっと勤務することができました。

11年間同じ歯科医院に勤務するというのはこの業界ではめずらしいのですが、開業する3年くらい前から準備させていただいたので、見学したかった予防歯科の第一人者で山形県酒田市にある 熊谷 崇 先生 の 日吉歯科診療所 の見学や院内LANを組む時の相談で新潟県にいらっしゃる 歯科IT研究会 の会長の 鷲沢 直也 先生 とお話する機会もいただきました。

( この新潟から山形に行くときも普通なら海岸線の日本海側をJRですぐなのですが、あいにく向こうに行ってからの集中豪雨で海岸線の道路も線路も通行止めになり、大宮まで戻っての新幹線での山形入りという貴重な経験でした! 本当にけっこう皆さんがあまり経験したことないようなことも多くあり、経験値だけは高いと思います! )

そもそも、そのころから実家がある鹿児島市は歯科医院過剰っていわれている地域でしたし、将来開業するならあまり鹿児島からも遠くなく、住みやすいところという点で都城市に決めました。

実際、このころ都城市は物価や環境などからも全国で住みやすい市町村のトップテンに入っていました。
で、就職して2年目の平成9年の9月に妻と付き合って7年目の28歳のときに結婚して、平成11年の元旦に長女:亜蓮(あれん)誕生!!平成13年の3月22日に次女:梨乃(りのん)誕生!!となりました。

今では娘2人ともに成人して親元を離れていましたが、令和3年4月から長女が自分の歯科医院で 受付 として働いてくれていて本当にありがたいです。

親子一緒に働くことができている環境に 「 感謝 」です。

 

結婚してから、あっという間に25年以上経ちました。

【 自分と妻との25年以上前の結婚式の時の写真です! 】

開業する前は、子供とよく遊ぶ時間などあったのですが、開業してからはなかなか時間がとれずに家族にも迷惑かけているかと思います。

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反省してこころにも余裕もって、家族との共有時間を今以上にとろうと常に考えています。

歯科医師の方々との付き合いももちろん大切ですが、自分は異業種の方々とお話することが楽しいです。

それで、娘たちが幼稚園生(聖ドミニコ学園幼稚園)のときは、すすんで役員を引き受けて有給休暇を利用して役員会に出席して、副会長と会長の2年間で特にいろんな方々と接することができたことに感謝しています。

【 ところで自分がいつも海外研修や海外ボランティアに行くときも必ず身につけているいるお守りにしているものがあります。。。それは自分が1年目の歯科医師国家試験落ちたので2年目の受験する時に、妻が自筆で和紙に書いてくれた「 確実 」という言葉と4つ歯のクローバーの押し花 なんです。】



この 「 確実 」に合格するように書いてくれた想い がうれしくて、とても勇気付けられました。それからは海外に行った時などにも「 確実 」にまた日本に戻ってこれるようにいつも財布の中に忍ばせています。
海外研修や海外ボランティアに行くときなども、何の相談もなく1人で決めているので、毎回妻は不安だったこともつい最近聞きました。
これからもずっとこの妻からの想いは大事にしていきます。

そしていよいよ開業してからは。。。

それで、次女が小学1年生になり手も少し離れる年の3月31日まで東歯科医院で勤務していて、それからわずか5日後の4月5日に ハートデンタルクリニック を開業しました。
それからは6年後に 医療法人社団 ハートデンタルクリニック  となり、現在に至ります。  

日本ヘルスケア歯科学会
日本ヘルスケア歯科学会
日本フィンランドむしば予防研究会
日本フィンランドむし歯予防研究会

開業以来2つの会員(「 日本ヘルスケア歯科学会 」「 日本フィンランドむし歯予防研究会 」)になっていて今なお所属していることからも分かるように、予防やむし歯にそもそもならないように!ということにいかに関心が強い歯科医師だったのか?ということが分かると思います。。。

最近は定期検診受診率などでも圧倒的に高い北欧の「 予防歯科 」に対する考え方を学ぶためもあり 「 日本スウェーデン歯科学会 」 の会員になり学んでいます。

北欧の生活実態(習慣)などもこの目で見て把握して当医院でも活かせるように必ず行きます!!!^^

日本スウェーデン歯科学会
日本スウェーデン歯科学会

自分が矯正・審美にも力を入れる理由

 

矯正・審美治療については、自分自身でも歯ならびはよくなく50歳手前まで前歯が反対の噛み合わせでしゃくれていたこともあり、「 いつかは自分の歯ならびを自分自身で治したい!」とずっと思っていたので開業する前の勤務医時代から院長先生に頼んで矯正治療を勉強したいことを伝えて診療させてもらっていました。

 



このころも写真撮影では必ず閉口しているので笑顔ではなく、怖いという第一印象を持たれていました。

【ところで話はガラッと変わるのですが、他には 変わったところでいうと 宮崎県警察歯科医会 会員 としても登録しているので、検死に立ち会ったりした経験もあります。。。自分の方が人相悪く、指名手配犯 みたいな写真になっているのはご愛敬で!^^】

それで開業時からいつか自分自身で矯正したい!という望みもあり、最初の「 ストレートライン 」という「マウスピース(アライナー)矯正」を取り扱っていましたので、もうかれこれ20年近くになります。2015年には3つめのマウスピース矯正である「インビザライン」を取り扱うようになり、自分自身でもこのマウスピース矯正で矯正治療をしました。

そして矯正して歯ならびがよくなることにより、それからは笑顔での写真撮影を心掛けていることにより印象もだいぶ優しい印象に変わった!とよく言われるようになりました。



最近は「 インビザライン 」の症例数も200を超えてきましたが。自分1人でするには年間50~80症例数が限界だと感じています。

審美治療についても、まだ歯科医師になって2年目くらい(勤務医時代)のころに一番最初は身近な妻の「正中離開(せいちゅうりかい)/すきっ歯」の矯正治療と「矮小歯(わいしょうし)/生まれつき歯が小さい」の審美治療(オールセラミッククラウンのかぶせもの)をしたのがきっかけでした。
その後も自分の長女のエピソードにはなりますが、長女が19歳のころに上の前歯が「先天欠如歯(せんてんけつじょし)/生まれつき歯がない」と「矮小歯(わいしょうし)/生まれつき歯が小さい」ということもありさらに難易度の高い矯正治療と審美治療をして、それまでも笑顔に特徴ある長女でしたが、それからは特に躊躇なく笑顔でいる長女を横で見れていることの幸せを実感しました。自分自身も歯科医師としてのモチベーションがとても上がったことを今でも鮮明に覚えています。

もちろん自分は一般の歯科医師ですが、矯正では勤務医時代に出身校でもある鹿児島大学でも『 臨床研修登録医 』として在籍し、それからもいろんな矯正の先生方のコースも受講して、審美治療についてもアメリカのハーバード大学やペンシルバニア大学でも研修しました。今でも学び続けています



やはり学べば学ぶだけ人の「人生の豊かさや幸せに貢献できる治療」だと実感しました。

さらに患者さまの歯の色やかぶせもののお悩み・歯ならびや噛み合わせの治療を行い、「自分に自信が持てるようになった」「思いっきり大きく口を開けて笑えるようになった」などというお声を頂くたびに、さらに治療に対しての自分の喜びを確信していきました。

これが自分が、矯正・審美・予防治療を徹底的に学び、診療の現場でも力をいれて取り組み続けている理由です。

今では自分自身のポジティブな性格とも相まってよりポジティブな歯科治療である「矯正・審美・予防治療」を行うことが、多くの患者さまの人生の豊かさや幸せに貢献する!と心から確信しています。

 

他にも 2016年と2017年には、審美とインプラントの勉強に 海外研修 で ペンシルバニア大学 と ハーバード大学 に行ったのも今ではイイ思い出です。

一番最初にまずびっくりしたのが6月8日のA.M.8:30に現地集合!(ペンシルバニア大学の歯学部)に(@_@)ビックリでした!


まるで 宮崎市の大学前 で待ち合わせするかのような。。。(笑)

この時の MID-Gメンバー の凄いのが、みんな学ぶときにはしっかり学んで、夕方~はしっかり食事して楽しんで遊んで。また翌日にはしっかり学ぶ!

ということの徹底に刺激を受けましたね~^^

(※自分はしっかり講義中に眠たい時にはしっかり寝て、“ 寝るVP ” の称号もらったくらいなのでどういう感じで講義を受けていたか???想像つくと思います。。。 ちなみに自分は夕食の時間がとっても楽しみでしたが。。。)

海外ボランティア や 海外での研修 は 自分は歯科医院でDr.1人なので1~2週間休診にすることの覚悟も身に付きました。

今では、患者さまには申し訳ないですが、いろいろなセミナー参加や体調管理の休養のために 月に1回は必ず連休 をとるようにスケジュール管理しています。

 


2015年も2016年も NY に行ったのですが、ここでもまた地下鉄での経験でいうと。。。

NYでの地下鉄の最初は、Uptown(アップタウン・北)行きとDowntown(ダウンタウン・南)行きをまず考えればいいはずなのに、考え過ぎて逆方向へ行ってしまい待ち合わせの食事の時間に30分以上遅れてしまい・・・(しかも2人だったのに!悔しい!!!)

すると翌日に大リーグのチケットが1枚あるけど、同じメンバーが行けなくなったということで運よく手に入れることができたので、前日のリベンジもかねて1人で球場(NYメッツの本拠地・シティフィールド球場)まで地下鉄で行ってみたくなった!^^

結果、自分1人で行動する方が楽!(笑) 

なんてったって 自己責任 で行動できるから!^^
日本人1人で球場行っていると、地元の方の女性グループに何とか声かけて親切にしてもらって1人でビール飲んでる写真なども撮ってもらった!

後で聞いたらシティ・フィールド周辺の治安はあまり良いとは言えないらしい。。
世の中いろいろ知っていて心配して行動できないよりも知らない方がいいこともありますね!



帰りは最後まで見ると混雑するし、夕食の約束もあったので最後の試合結果までは見ずに経験と思って再度1人地下鉄でホテルまで無事帰れた!

しかし夕食のためにホテルからはまた地下鉄で目的地まで行けて気分上々だったのに、約束していた店名(Sushi Katsuei)の 寿司屋 がない・・・

碁盤のような block と street を頼りに行って、絶対ここにあると確信し探すが一向に見つからない・・・すると店名はなくワシントンのW4Stの357 6th Ave の  block名 357 が店名になっていた!難しすぎる!でも苦労しただけあって、夜のコースにしてはお手頃価格で日本人のマスターがしている本格的な創作料理と握りの店で満喫できた。

でも試練はこれだけでは終わらない・・・

いざ帰ろうとして別れて1人になって地下鉄で帰ろうと、駅の構内に入ってからトイレがしたくなるという珍事。

でもここまではそんなに深刻に考えていなかった・・・NYの地下鉄のトイレだし汚くてもしようがないか・・・程度の心配だけ。

まず駅構内でトイレを探すが見当たらない!日本では地下鉄やJRの各駅でトイレが完備されていることが常識なのに。

後から調べてみるとニューヨーク市内の地下鉄駅の数は 472 にのぼるが、トイレがあるのは 69駅だけ という!しかも 利用できるのは朝7時から午後7時の間だけ!)

そもそももう23時前だし。仕方なく再度駅を出て、しばらく歩くと 公園 が!
しかし公園にもトイレが見当たらない!  
途方に暮れながらひたすらトイレを求めて行くと希望の光が・・・日本人にはなじみの マクドナルド があって一安心!

しかしあなどるなかれ、自分のカタコトの英語でも店内にはトイレはないの一点張り!なのは伝わって何回訴えてももうダメ。
仕方なくまた歩き出すと、今度もまた日本人にはなじみの セブンイレブンのコンビニ  があり、さすがにここでは一安心だと思ったら、まさかまさかの店内にはトイレはない!とのことで保安上のこともあり貸せないのだろうが、もうトイレだけ借りることをあきらめてとうとう食事のできる店に入り、飲みたくもないビールを飲んで店内のトイレに入った・・・

みなさんもNY(ニューヨーク)観光中は「公衆トイレがない!」ことにはご注意を!!!^^

『 国内で当たり前の状況が実はすごく恵まれている 』ことを本当に肌で感じたことを実感できる瞬間だった。



いろいろな経験をすることで対処法も自分自身で覚えていくので、いざという時にこの経験値が最後はものをいうことから 『 経験こそが本当に素晴らしい財産 』と言える。


今は コロナ禍 でなかなか叶わないが、海外での経験は本当に人間的に大きく成長させてくれると思うので、また機会あったらぜひ挑戦したい!

今度は 予防歯科 の分野で先進的な 北欧 での学ぶ機会を求めていこうと考えている。。。

本当に45~50歳の時には、いろんな学びもふくめて、いろいろな良い経験をした。

ところでコロナ禍があけたばかりの 2024年 2月今をときめく  2月UAE(アラブ首長国連邦)であった国際デンタルショーである『 AEEDEC Dubai 2024 』で ドバイ に行ってきた!^^

この話を聞いたのは 2023年 12月の中旬 で2ヶ月前だったが、行く!と決断した自分の行動力もほめてあげたい!(笑)

そうと決まれば準備ははやくしっかりとする方なので、実質1ヶ月半は準備にバタバタしていましたが、コロナ禍あけてすぐというだけではなく自分にとっては2020年の脳梗塞で1週間入院してからも初海外という大きなハードルもあった。。。
他の方々に迷惑かけないだろうか?などの心配も。

やはり想像してた以上にドバイは華やかでしたが、現実問題いつまでこの状態が続くのかは疑問なので、一時的な今の情勢(現状での税金制度etc.)で流されるのではなく、きちんと

   『 どういう歯科医院にしたいのか? 』

というビジョン(自分はどういう患者さまに来て欲しいのか?自分はどういうスタッフと一緒に働きたいのか?自分はどういう院長になりたいのか?etc.)を立てた上で、歯科診療の本質にあたることが重要なことにも気付かされました。




この下のサティフィケートは、同じ日本の全国から参加した DEXITメンバーからのものですが、各自いろんな分野で活躍しているメンバーが日本全国にいると思うと心強いものです・・・



このドバイでは、国際デンンタルショーはもちろんなのですが、ドバイで開業している歯科医院の現状だけではなく、レーザー治療や美容分野もしているドバイの歯科医院見学などもあり、またドバイで活躍している若手経営者の方からの経営セミナーでドバイの経済・起業する情報共有などもあり本当に世界の情勢が少しだけ分かったような気がします。

もちろんこれらは日本国内にいるだけでは見えない部分もあるので、 実際に自分の足を運んでいろいろな情報は知ったうえで自分の環境に必要かどうか?を照らし合わせて取捨選択していけばいいい と思います。

ただ情報を入手することもしなければ、いつどの業種でも取り残されてもおかしくないことも事実です。

【 いろいろな講演活動etc. 】


開業して15年以上が経過して、周囲の方々からのよい評価をいくらいただいても、一緒に働いているスタッフからの評価がよくなければ意味がないのだと考えます。今でもまだまだスタッフに対しての関わり方で自分ができることが考えている中のほんの少し少ししか実践できていません。

以前勤務していた 東泰蔵先生 はスタッフに対して怒ったことを見たことがなかったので、開業してから質問したことがあります。

すると、

『 いいことはみんなのおかげさま、悪いことは自分のせい 』

という考えを持てば、怒る気持ちは持たなくなるというお言葉をいただいたことがあります。

みんな一人一人価値観が違い、その方にとっての最善を尽くしている!という考え方で、これから自分も行動していきます。。。

いろいろな学びを経験してきた中で もっとスタッフと楽しく働きたい!との考えから 『 ほめ達! 』 の3級~1級受験して、今では認定講師にもなり

続きを読む・・・

2020年 1月 には、
鹿児島の 『 霧島市学校保健会研究協議会 』 にて
200人ほどの 学校の先生や保険の先生を対象に 歯科医師 としてではなく、診療を休診して普通に『 ほめ達! 』認定講師 の1人として
『 ほめ達で教育がかわる! ~ほめて育てる極意!~ 』
について80分間講演した経験もあります。。。(笑)

『 ほめ達! 』 の定義って

「ほめ達!」とは、目の前の人やモノ、仕事で言えば商品やサービス、起きる出来事などに独自の切り口で価値を見つけ出す『価値発見の達人』のこと!

「 ほめるのは、他人をコントロールするためではなく、自分の心を整えるためのもの 」であり、すべて肯定的に捉えられるようになり、もともとポジティブな考え方の自分にはめちゃくちゃ合っていたかも?(笑)


他には、自分が スタッフマネジメント をもっとよくしたい!と考えて 2018年 1月 の 第一回 『 院長塾 』 から受講していて

2020年 2月 に行われた (※ コロナの初期の段階でリアルにお逢いできた最後の機会でした。。。)

『 第一回 院長塾サミット 』

『 大切な人に大切な時間をかける! ~患者さまをしあわせにするために~ 』

という演題で、お話する機会をいただきました!

【この写真は熊本地震が起きてすぐに、いろんな支援物資を届けるためのトラックまでたくさんの支援物資を購入して娘2人とともに家族で運んで行った帰りに夕食を食べたあとで娘たちが自分たち夫婦を撮影した写真。
被災した方々へ「愛」を届けるために💖をつくって撮影した想い出の写真です。。。】

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それ以外にも 2020年 10月 に 

『 院長塾 オープンセミナー 』 での オンライン で 

『 一歯科医師の可能性 と リスクヘッジ について 』 

1時間講演させていただきました。



ここでは、45~50歳までの海外でのボランティアや海外研修などでの一歯科医師のできることの可能性と、自分が 2020年 4月 スタッフからのアドバイスで検査したところ、今まで何回も『 脳梗塞 』になっていて約10日間即入院になったことについてのリスクヘッジについてお話しました。

【  他にも、今までも高速道路のトンネルで自損事故で一発廃車になるような交通事故だったにも関わらず、自分はかすり傷1つなかったり、同じく高速道路でタイヤが1本バーストしてホイールは使い物にならなくらい傷だらけでハンドルをとられるも(この時は娘2人よペット1匹も同乗!)全員無傷だったりと
九死に一生を得た経験  も豊富です!!!(笑) 】

そういうこともあり 診療時間の短縮( ~17:30まで)や月1回の連休 ということを 2020年 10月 から実施しています!^^ 

本当に 健康がすべてではないが、健康を失うとすべてを失う と実感しています。
 



さらに 2021年 3月 に 

『 第二回 院長塾サミット 』でも オンライン で 

『 コロナに打ち勝つマーケティング と あり方 』

 について 1時間講演させていただきました。

『 第一回 院長塾サミット 』の時の写真は過去最高体重の84kgの時なので太ってる~、お腹が3段腹になってるよ~(笑)

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ここでは、コロナ禍(先ほどの脳梗塞での入院による約10日間の休診やスタッフコロナ感染による約2週間の休診した)にも関わらず、過去最高売り上げ達成した当医院のマーケティングとともに 2020年 8月 に スタッフPCR(+)の報告を受けてから自分がどういう行動をとったのか?ということをありのままお話しました。

➡より詳しい内容はこちらでご覧いただけます






今までのことでも分かるように、自分の行動は

 

と思っていて、特に大好きな著者には読んで感じるだけではなくて、直接逢いに行くって習性があります!(笑)



その中でも特に お気に入りの方の講演会などでは、実行委員になったりします!^^


時には 花束贈呈 の大役もこなします!^^

【 これからのHDC(ハートデンタルクリニック) 】

 まずはすべてのことにおいてこれからもいろいろなことを怖れずに「 挑戦 」しながら新しい試みもどんどん取り入れていきたいです。
 


そうすること(大きく変化すること)でより大きな「 チャンス 」を手にしていきたいです。



変化に適応しながらもちろんいろんな障害はでてくると思いますが、人間的にも器を大きくできるようにすすんでいって最後に生き残るというよりはしっかり医院を発展させていきます。





そのためにも患者さまだけではなく、医院のスタッフたちにもしっかりと自分自身が「 これからどういうクリニックにしたいのか? 」という方向性をしっかりと伝えることが大切になります。



自分1人で利益を1人占めするのではなく、「 患者さま 」「 スタッフ 」「 社会 」のすべての方々が幸せに(三方よし!」)になれるように、院長である自分が考えていくことが大切なのだと考えます。



そのためには、患者さまのためにいろいろと情報発信して、利益が発生したらさらなる設備投資をしてスタッフの効率化や患者さまへの還元を第一に考えた経営をすることも大事。



どうしても目先の利益にとらわれがちだが、患者さま・スタッフとの関係性・絆を医院の資産としてとらえて「 患者さま 」「 スタッフ 」を幸せにするという目的のもとに経営していけば、その結果として利益はついてくるもの。。。
 


医院経営では、いろんなことに手を出すことはせずに自分の好きなこと・得意なこと「 矯正・審美・予防 」に絞って自分のやりたい診療にこれからは特化していくことも必要だと考える。
歯科医院経営では分院展開したりすることも1つだが、自分はこれからも自分の考えがしっかり反映できるように、この医院1つで自分のやりたいことをとことん追求していく。
必ずしも他の人にとっての成功が自分の成功になるとは限らない!!!



院長である自分自身が「愛」と「感謝」の気持ちを忘れずに、すべての自分の行動に責任をもって動きます!



結局は、すべての行動において「 相手が望んでいること! 」をやってあげられるようにしていく。
自分がしたいことやりたいことを探すのも1つの大きな『夢』だが、『夢』がないからといって無理に探す必要もなく、まずは目の前の人に喜ばれるようなことをしていくことも大切なことだと考える。



医院としては、『 医院理念 』にも掲げているように、患者さまの望んでいることをお話ししながら共有し、歯の悩みだけではなくいろいろも気持ちにも寄り添いながら一緒に問題解決していくことで、一生健康で豊かな生活を笑顔で送っていただけるように、1人1人に最適なCure&Careで最大限のサポートを提供するデンタルクリニックを目指します!

【 終わりに・・・ 】


ここまで読んで何か変わった人だなぁ~と感じる?いろんな経験しているなぁ~と感じる?かもしれませんが、経験こそ人生にとっての財産だと考えています!

今までもいろいろな講演活動、TV出演、雑誌の取材、出版など一般の歯科医師では経験できないことなども多く経験してきました。。。


【令和6年 6月5日発売 でAmazon のサイトhttps://amzn.asia/d/f4E8rDE
にて受付中

これからの残りの人生は歯科医師として自分で満足いくところまで皆様の歯の健康に貢献したいというのはもちろんですが、自分のもっている 「 アソシエートプロスピーカー 」 や 「 ほめ達!認定講師 」 としての講師業はもちろんのこと「 デンタルコーチ認定講師 」 として同じ歯科医師の方々のコーチンングで寄り添いながら自分の大好きなインテリアや建築の経験なども活かして歯科医院のプロデュース業もしていきたい!という夢もあります。


またここだけでは書ききれないくらい(笑)、( ※ 書けない経験もたくさんある???)他にも車やインテリア、洋服、雑貨、剣道、和太鼓などなどや他にも奥さんの影響うけている花など多くのことに興味ありますので、いろいろと話しかけてみてください。

【 現在も歯科医師会剣道部の現役で、以前は8年くらい和太鼓もやっていましたが、剣道との両立を諦めて剣道をとりました。。。 】

こちらも患者様のお一人お一人の生活スタイルや趣味なども踏まえての治療計画を立てるので、スタッフにもお話をすすめています。

ここまで長々とお読みいただきありがとうございます。

では、医院でお逢いできることを楽しみにお待ちいたしております。